日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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携帯が物語を変える。

 「想い出にかわるまで」後半を見る。1990年のドラマなので、自動車電話が普及し始めたばかりで携帯電話は、まだまだ高根の花、という時代でした。
 たとえば、待ち合わせをする場合、日時と場所を事前に決めるというのは、デートをする為に大切なことでした。しかし今は、携帯電話があるので、せいぜい会う日とだいたいの時間、場所(最悪日時だけ)さえ決めておけば、後は携帯(メールor通話)で都度連絡を取り合えば会うことができます。
 携帯のない時代、日時、場所を決めていても突発的なことで約束に時間に行けない場合、連絡をするすべがなかったりします。そこで、待ち合わせ場所を喫茶店にしたりして連絡がとれる場所にしたりするのですが、喫茶店もそうそう遅くまでやっているわけではなかったりして、結局、後から来る人の為に、駅の伝言板を利用したりするのでした。最近は伝言板なんてなくなってんのかな。
 こと待ち合わせに関しては、携帯電話の普及によって劇的に変わりました。ドラマを見ていても、「携帯電話」さえあればこういう展開にならなかったのに…という場面が頻出します。
 伝えたいことがある場合、家に帰ってから電話をするか、その人の家に行くかしかなかった。若い人たちの中には、いつでもどこでも連絡を取ることができる携帯電話だからこそ、それが無くなったら不安になるというのも分からないではない。携帯電話普及以降の世代にとっては、自分と他(世界といってもいい)を繋ぐ唯一の手段になってしまったんですね。もっとも、私も、PCやケータイでしかつながっていない知り合いも大勢いますが…。
 会って話をすることで伝えられる部分というのは確かにあります。便利というだけで、携帯に全てを委ねている状態というのは、やはり危険な感じがします。
 たとえば、好きな人の電話番号は、かつては「指が覚えて」いました。昔良くかけていた彼女(カミさんの実家)や友達の家の電話番号は今でもそらで言えたりします。
 おそらく、携帯が普及して便利になったことで得たものも多いですが、なくしたものも確実にある。そんなことを思いました。