夏季休暇初日。実家のTV(小さい方)が、こたびの地デジ化により観られなくなったとの報を受け、買いに行く。週末に実家に帰って取りつけてあげます。
夜、日テレで、7時から戦時中、犬を国に徴用されるお話を観、そのあと、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を連続して観る。
カミさんは仕事だったので、「戦争ものを4時間半も続けて観る元気はないよー」と敬遠気味。子供たちはそもそも興味がない。まーね。若い人は戦争ものに普通興味はないよね。自分も同じ頃は、日本軍ってダサくて全く興味なかったもん。
戦争は外交の一つの手段であることは認めるのですが、あくまでもそれは、職業軍人同志が戦うまでの話。民間人(犬もね)をどんどん徴用して、戦地、しかも最前線に送るに至っては、既に外交戦争の枠を越えてしまっています。
ただね、「戦争は悲惨である」「戦争はいけない」ということだけを訴える作品っていうのはいかがなもんかと思う。だから、7時からの「犬が消えた日」の方は、いってることは分かるし哀しい話だと思うけど、それだけではいけないと思うのです。単に厭戦、嫌戦主義者を生むだけ。誰でも好きこのんで、敵に刃を向けないと思うのです。なぜ戦争という最終手段を用いないといけない状態なったのか。それがまず知らないといけないことだと思うのです。
えと、誤解を恐れずに言うと、私、日本人というのは、かなり高い精神性を持った国民だと思うのです。確かに、大和民族とアイヌや琉球の民族性とは多少異なるのかもしれませんが日本国民全体として。
自然に対して畏敬の念を持っていたり、他者に対する深い愛情、ものに対するこだわり、謙虚さ…、数え上げればきりがないです。
だから、「大東亜共栄圏」ということが、軍に利用されたとはいえ、元々の思想としては、本当に、こころからそういう想いがあったのではないかと思うのです。
ヨーロッパや、新興国のアメリカさえ、帝国主義で東南アジア諸国を植民地化していて、日露戦争でアングロサクソンをアジア人が破った国がアジアの開放の為に戦うのは自然の流れ。
確かに、満州事変〜傀儡国家のやり方は、単にヨーロッパの先進国を真似、更に進めたやり方で誉められるもんじゃないと思うけど。
開戦が1941ですから、今年70年目の節目の年。
戦争について、考えてみるのもよいと思います。。