日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

野際陽子さん


 「やすらぎの郷」でのメインパーソンのひとりなのに、大丈夫だろうか…。
 享年81歳だったそうですが、最近まですごくしっかりしていました。
よく言われるのは「キイハンター」津川啓子。エンディングも歌われていました。
 

 「TRICK」の山田奈緒子のお母さん、里見は印象的でしたね。ちょっと霊能力あるっぽい。「ずっとあなたが好きだった」冬彦さんのお母さん役、続篇「誰にも言えない」も中々刺激的な役でした。
 1963年の女優デビュー(それ以前はNHKのアナウンサーさんだった)以来、仕事が途切れることなく現在放送中の「やすらぎの郷」まで、常に第一線で活躍され、ドラマにはかかせない”お母さん”でした。

 うちの母親は79歳でしたが、野際さんの81歳もまだ若いよなぁ。いずれ逝くにせよ、もう少しドラマを見たかったです。

 ご冥福をお祈りいたします。

渡瀬恒彦


 最近見てないと思ったら闘病中だったんですね。
 70,80年代の映画によく出ていました。最近は2時間ドラマとか刑事もののTVドラマを中心に人情味のある役柄が多かったような気がします。
 最近の役柄も良いのですが、やっぱり昔のチンピラやちょっとすねた感じの役の方が印象が強く、私的には「戦国自衛隊」で暴れまわる矢野陸士長や、「復活の日」で無線で子供に呼び掛ける隊員、辰野が特に印象的。あ、「セーラー服と機関銃」の佐久間もよかった。数え上げるときりがありません。
 渡哲也の弟だというのもすっかり忘れてました。大原麗子の最初の夫というのは初めて知りました。
 

 主役もありましたが、どちらかというと脇できらりと光る名バイプレイヤー。
ご冥福をお祈りいたします。

松方弘樹


松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫、「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀


 俳優の松方弘樹さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。■趣味の釣りで300キロ以上の巨大マグロを釣り上げるなど豪快なイメージで知られた松方さんだが、病魔には勝てなかった。回復を願ったファンや関係者の祈りも通じなかった。■所属する「夢グループ」が松方さんに脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった同3月1日から6月8日までの「夢コンサート」を降板し、6月からの舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。■松方さんは時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。■元妻の女優仁科亜季子(63)との間に、タレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。( 2017年1月23日 17:27スポニチ


 後年はバラエティ番組の常連、あとは"マグロの人"。近衛十四郎の子供だったって初めて知りました。歳とってもかっこよかったけど、デビュウ当時がまたかっこいい。「人生で女性が近くにいなかったことはない」と豪語するだけのことはある。羨ましい。そういうことを言いたいもんです。脳リンパ腫というのもすごく珍しい病気で10万人に一人とか言ってました。不謹慎ですが、さすがスタアと言わざるをえません。
 松方弘樹といえば、「仁義なき戦い」ですが、たくさん出演された時代劇の殺陣はそりゃもう切れ味抜群で、何をやっても映える人。映画がだんだん斜陽になって、活躍の場がTVドラマ、更にバラエティになり、ユニークなキャラクターは面白かったけど、本来いる場所はやはり銀幕だったと思う。
 
 観ていない人は往年の映画作品をみてほしい。ほんと、かっこいいから。

 ご冥福をお祈り申し上げます。
 楽しませてくれてありがとうございました。

ももちゃん

 猫の事も<訃報>でよいかな。
 カミさんの実家の飼い猫がなくなった。名前はももちゃんといい、命名は小さかったうちの長男。キジトラ柄で見た目それほど美しくはないけど、顔は凛々しかった。捨て猫を拾ってきて約20年、すごく臆病で、私が実家に行くとずーーーっと押し入れに閉じこもったままでした。子供たちが小さい頃は追いかけまわして捕まえられてましたけど。
 最後は足腰も弱り、認知も入っているようだったと。
 実家の猫さんでは珍しく何度も医者に連れて行ってもらったり、無くなってからもちゃんと火葬をされるとのこと。今は庭先に埋めるとかしちゃ駄目なんだそうです。

 もう実家に帰ってもももちゃんいないのか。ちょっと寂しいな。

 猫って長生きだなぁ。これから飼ったとしたら、自分の方が先に逝ってしまいそう。

肝付兼太さん

肝付兼太さんに声優仲間らが追悼続々「ドラえもん」公式も「子どもに夢」
 アニメ「ドラえもん」のスネ夫役などで知られる声優の肝付兼太(きもつき・かねた、本名兼正=かねまさ)さんが20日、肺炎のため死去した。80歳。鹿児島市出身。24日、所属事務所が発表した。声優仲間らから追悼の声が相次いだ。(スポニチアネックス/10月24日(月)14時49分配信)

 999の車掌さん
 黒ベエ
 スネ夫
 殿間
 009(79年版サイボーグ009
 ドラキュラ(80年の怪物くん)
 イヤミ(88年のおそ松くん)

 藤子アニメではまず肝付さんが出ていましたねぇ。他あげればきりがないほど、この声を知らない人はいない。私が生まれる前から50年以上第一線で活躍されていました。
 主役は意外と少なく、「ジャングル黒ベエ」くらい。声優界の名バイプレイヤー。
 ジャイアンたてかべ和也さんが昨年逝き、スネ夫までも…。
 車掌さんよかったなぁ。

 享年80歳、 ご冥福をお祈りいたします。

巨泉さんまで…。


 あぁ昭和の灯がまたひとつ。
 先日の永六輔さんに続き、昭和を代表する名司会者、タレントの大橋巨泉さんが亡くなった。享年82歳。
 若い人は知らないと思うけど、歯に衣着せぬ物言いで、お茶の間の支持を集めていました。硬軟両面を持って、博識。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『11PM』『お笑い頭の体操』とその後番組『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』『巨泉のこんなモノいらない!?』…大ヒット番組の司会で知らない人はいません。

 勿論これらの番組、毎週楽しみにしてましたが、一番好きだったのはTBSでやっていた『ギミア・ぶれいく』。ごった煮、幕の内弁当みたいな番組で、糸井重里赤城山徳川埋蔵金発掘プロジェクトや史上最強のクイズ王決定戦、アニメ「笑ゥせぇるすまん 」もこの番組の1コーナーでした。


 鳴り物入りで野党民主党から参議院議員選挙に出馬し当選したものの半年で辞任したり、2000年以降は、TVからは距離を置いて海外のお土産屋(オーケーギフトショップ)の社長や執筆などをしていましたが、癌がみつかり闘病生活に。


 先日の永六輔さんも享年83歳。人間って、80くらいまでしか生きられないんだよなぁ。そうするとあと30年位。最近特に1年が早く感じるから、あっという間なんだろうなぁ。
 死んでからの事はどうでもいいっちゃーいいんだけど、「あの人と知り合えてよかった」とか「楽しい時間を過ごせたな」って思ってもらえるような人生を送りたいものです。


 巨泉さん、楽しい時間をありがとう。
 

永六輔と伊藤ユミ


 昭和のTVを代表する2人。伊藤ユミは姉妹デュオ「ザ・ピーナッツ」の人。姉の伊藤エミは2012年に亡くなっていて、ザ・ピーナツは2人ともいなくなってしまいました。
 若い人にとっては、あまりなじみのない人かもしれませんが、まさにザ・昭和な人たちです。

 ザ・ピーナッツは特撮好きにはモスラの小美人。
 
同じモスラ(三大怪獣地球最大の決戦)の歌でも、こちらの方がすき。「幸せを呼ぼう」

 お姉さんの伊藤エミ沢田研二の元奥さんでしたね(沢田研二の今の奥さんは女優の田中裕子)。
 昔は、こまどり姉妹(さすがにあまり記憶にない(^_^;))とかリリーズとか双子の歌手っていたね。その中でもザ・ピーナッツの人気はやっぱり別格でした。双子ならではの、きれいなハーモニーは今聞いても本当に美しい。
 そういえば最近双子デュオって出てこないなぁ。


 永六輔は、TV草創期からの放送作家さんですけど、作詞家として、第一回レコード大賞受賞の「黒い花びら」から「上を向いて歩こう 」「見上げてごらん夜の星を 」「こんにちは赤ちゃん 」「いい湯だな」と日本人なら誰もが口ずさめる名曲を手掛けました。
 特に「上を向いて歩こう 」は、米ビルボード誌で全米No1を獲得、1963年の年間順位でも10位という日本初のグローバルヒット曲。その評価は確固たるものですけど、評価以上に、私たち日本人が苦しい時に常に励ましてくれる名曲で、神戸や東日本の震災の時に被災者さんたちを勇気づけてくれました。これは、旋律(曲)もですが、歌詞の力が大きいと思います。もともとは失恋の歌らしいですけどw

 後年はラジオをメインの舞台にしていて、土曜日の永さんの番組はよく聴いてました。


 あぁ、また昭和は遠くなりにけり。
 そりゃそーだよなぁ、平成も28年だもんなぁ。なんか、自分が楽しんだTVや映画の人たちがどんどんあちらにいってしまって、結構あの世も楽しそう。
 ご冥福をお祈りいたします。

モハメド・アリ


 父親がボクシング好きでよくTVを見ていた影響か、格闘技といってもボクシングは結構好きです。「あしたのジョー」は永遠のバイブル。
 モハメド・アリは、アントニオ猪木との異種格闘技で初めて見たと思う。当時は世紀の凡戦ということで叩かれてましたが、ずっと寝たままキックをする猪木に幻滅したものです。とはいえ、タックル、チョップ、投げ技、関節技などプロレス技のほとんどを禁止されていた事を知り、ああいう戦い方は仕方なかったと納得できました。


 その後、例えば「愛と誠」の太賀誠の部屋にカシアス・クレイ(アリの本名)のポスターが貼ってあるとか、沢木 耕太郎のノンフィクション「一瞬の夏」の主人公カシアス内藤のカシアスはカシアス・クレイからとったものとか、ベトナム戦争兵役を拒否してWBA・WBC統一世界ヘビー級王座を剥奪されたものの、王座剥奪後の1974年ジョージ・フォアマンに挑戦し王座奪還をした“キンサシャの奇跡”とか、実に伝説のボクサーでありました。

 ヘビー級でありながら軽やかなフットワークで、蝶のように舞い、蜂のように刺す(Float like a butterfly, sting like a bee)と自分で言っちゃうくらい、すごかった。
 ビックマウスでしたが有言実行。後年はパーキンソン病と戦っており、アトランタ五輪での聖火台は、往年の名ボクサーの痛ましい姿に驚いたものです。


 享年74歳。世界中の人を楽しませた格闘家でした。

望月三起也

 昨日お亡くなりになったと…。望月三起也と聞いて、「お!」と思うのは私たち世代まででしょう。癖のある絵だから好き嫌いはある。ただ、メカと肉感的な女の子が魅力的。あと構図がかっこいい。絶対に荒木飛呂彦は影響受けてると思う。なんといっても「ワイルド7」には燃えましたねぇ。1972年のTVドラマから入ったんですが、1971年に仮面ライダーが始まって、新しいバイクもの。漫画原作とはいえ、大人っぽいストーリー。犯罪者が警察官となって、悪い奴らを"逮捕"じゃなく"退治"する。駆るバイクも特殊な改造をされていて、皮革のライダースーツもかっこよかった。主題歌がまたかっこよくて、EPレコード買いましたw

 
今回の訃報で知ったんですけど「マシンハヤブサ」も望月三起也原作だったんですね。
 

 
享年77歳と。ここも7絡みってところが、ワイルド7の作者らしい。
DVD持ってるのでワイルド7見直してみよう。

ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

水木しげる


 あらゆるニュースメディアで報じられていました。それだけ国民的作家であったことはいうまでもありません。
 68年のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」は白黒でしたが、引き続いて72年からカラー化。白黒版も結構再放送をしていて幼少時代によく見ておりました。考えてみれば、その前の実写版「悪魔くん」も66年なのでおそらく再放送での記憶でしょうが、すごく怖かったのを覚えています。

 キャラクターはあまり好きな絵ではありませんでしたし、キャラクターだけ見ればそんなに上手な絵じゃないんじゃない?と思っていた時期もありましたが、大学時代に水木しげる大好きの友達から背景に注目するように言われ、目を移してみると、むちゃくちゃ上手いことに気が付いた次第。


 著書『水木サンの幸福論』で幸せになる7つの条件を以下のように言われています。

 「幸福の七カ条」

幸福の七カ条

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。


私なりの解釈。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
    成功する事、勝つ事が人生の目的のように言われていますけど、それって一つのものさしでしかなくて、別にそれに縛られる必要はないんじゃないかと、私も思っています。勝ったり負けたり、成功したり失敗したりなんて言うのは、運の要素だって結構な比率であるもの。それすらも自分の能力のように思える人はおめでたいというしかない。成功にばかり目を向けるんじゃなくて、成功をするためにどうするか考え行動する。そういうことが大切だと。

第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
    行動する事は大切ですが、嫌々続ける事は不幸。どんなことでも「しないではいられないこと」「好奇心をもって行える事」をすることが、努力を厭わないでできる、努力する事が楽しいって思える事なんだと思います。もっとも、その対価としてお金をもらう"仕事"は、好きでやっているばかりではないけど、一方でそれをしないと好きなことができないという側面もあり、精神的な意味で、仕事は「しないではいられないこと」ではなく生活をしていく上で、また好きなことをするためにしないといけないこと、という感覚で私はとらえています。だから、仕事を優先してしたいことができないような状況は原則避ける。ただ何でもかんでも私生活優先というのではなくて、仕事でのポジションはしっかりと確保しながら私生活を楽しむ、というのは社会人、特にサラリーマンとしては当然な事かなと思っています。

第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
    幸せの基準は自分の中にあって、他と安易に比べるもんじゃない。例えば、収入や地位にしても、確かに高収入に高い地位というのは社会的に考えれば成功者かもしれないけど、じゃあその人たちが本当に幸せかというとよくわかりません。今の私にとって、例えば高収入や高い地位が幸せに結びつくかというとちょっと疑問で、自分が楽しいって思える状況や場所を自ら作り出していくこと、そのための基盤としてなにが必要かを考えて、より楽しいことを追求していくことが、いいことなんじゃないかなと思います。

第四条 好きの力を信じる。
    好きこそものの上手なれ、といいます。好きな事なら続けていける。好きじゃない事を続けていくのは、かなり無理をしないといけません。無理をする事は幸せじゃないってことですね。

第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
    先日もこのBLOGで書きましたが、努力したからといって成功するとは限らない。それを「努力は人を裏切る」と言い切ってしまう水木センセーの言葉には、人生経験に裏付けられたものを感じます。だからと言って努力そのものを否定してしまっては何も前に進みません。好きな努力ならそれを辛いとは思わず、努力すらも楽しめる。それは幸せだといっているわけで。つまりは第1条の成功や勝ち負けのために辛い努力をすることは、目的が成功や勝利だから、それをつかんで初めて努力は裏切らないと言うことができる。じゃ、成功や勝利しなかった努力は無駄かというとそういうことでもない。努力したからっていっても、成功したり勝ったりするわけではないよ、ということ。「努力は必ず報われる」なんて思いながら努力している時点で駄目。

第六条 怠け者になりなさい。
    これを真に受けて、単なる怠け者になったらただの莫迦。しかも若いうちは吸収できるわけだから、いっぱい頑張らないといけない。だけど人生の後半は、これまで吸収してきたものを吐き出す時期だから、できる限り長く自分の得たものを放出するために、怠け者でいることはよいことだと。もちろん若い時であっても無理してやっているとどこかにひずみが必ず来ます。怠けること、一時道を外れることも決して無駄ではないよ、ということが言いたいんだと思います。
    
第七条 目に見えない世界を信じる。
    水木しげるだから、物の怪の世界を信じろということじゃないです。世の中の価値観って、目に見えるものだけがすべてではなくて、むしろ目に見えないものにこそ大切なもの、ことってたくさんあると私も思います。本を読んだり、映画を見たりした時の感動、家族や友人知人の思いやり、成功を伴わなかったかもしれないけどそこにかけた情熱、努力、そういった目に見えないものにこそ幸せを感じることが大切ということではないかと。見渡せば、お金さえあれば手に入れることができるものばかりですが、幸せというのは決してお金で買えるものばかりではありません。日々の生活の中で、少し視線を物欲からずらすだけで、幸せがすぐそばにあったりします。要は、みえていないだけ。




 改めてこう書いてみると、この7カ条ってホント大切なことだと思います。本を読んでいなくて、この7カ条を今回の訃報で初めて知りましたが、なんとなくこの7か条に沿って生きてるなって思います。そういう意味では、たくさんの足りないものはありつつも今の自分は充分幸せなのかもしれません。


 享年93歳。ご苦労された時代も長かったと思いますが、仲の良いご夫婦の二人三脚で人もうらやむ人生だったと思います。その根本はこんな考えにあったんですね。
 改めてこの七カ条を胸に刻みたいと思います。
 たくさんの物語、ありがとうございました。ゆっくりお休みください。