日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

原節子


 9月に亡くなっていたことが、公表されました。享年95歳。
 1962年に銀幕から引退して以降、一切表舞台から姿を消して、はや50年以上の歳月が流れた。私の生まれる前に引退しているとゆーこと。15歳で映画デビュウしてから42歳まで。女性の最も美しい時を、名監督に撮ってもらいフィルムに残されたというのは伝説の女優に相応しい。
 とにかく美しいその顔立ちは、今みても彼女以上の美しい人はいない。間違いなく日本映画で5本の指に入ると思う。引き際も鮮やか。完全な隠遁生活はどんなものだったんだろう。一度スターになるとその世界の呪縛からなかなか抜け出せないのが芸能界というけれど、原さんの場合は何の未練もなかったのかな。確かに作品を観ていると、楽しそうに演技をしているという風はあまりなく、また、監督によって表情が異なるのも彼女の特徴。一番彼女の美しさを引き出したのが、小津安二郎だと思う。何といっても私的には「東京物語」の紀子さんがベスト。
 「東京物語」は1953年公開。1904年生まれの笠 智衆は当時49歳。今の私より年下!!原節子は1920年生まれだから、33歳。親子ほども差があるかと思ったら、その差16歳。笠 智衆老け役はまりすぎです(>_<)。
 
 見かけによらず、酒(特にビールが大好き)に煙草に麻雀と一通り悪い遊びもやる。でも水着の撮影、舞台挨拶は好きじゃなくて、原則やらない。TVには一切出ず、映画だけ。まさに映画女優の中の映画女優、ついに逝く。 

生頼範義画伯


 平井和正ファンだった私は、ハヤカワ文庫、角川文庫、NONNOVELの表紙、挿画でよく触れていました。小松左京の角川文庫の表紙も生頼さんでしたね。幻魔大戦は途中から加藤直之やアニメ映画化に合わせて一部大友克洋の表紙になりましたが、ブームが落ち着いた頃、全巻生頼さんの表紙になっていました。 
平井和正生頼範義のタッグは完全で、その後どんな絵師さんが描いてもどうもしっくりきませんでした。そういう意味では完全にインプリンティングされてしまいました。
生頼さんの絵って、まったく日本風でなくしかも漫画というよりも絵画、油絵に近いタッチで、観る者の目を離しません。

特にウルフガイは生頼さんしか考えられません。
ウルフガイ

アダルトウルフガイ(早川文庫では先行する少年ウルフに対してウルフガイ別巻となっていました)

この後再刊されたNONNOVEL版も生頼さんの表紙、挿画でした。


最も有名なのは、「スターウォーズ帝国の逆襲」のポスター。これスターウォーズのポスターの中で一番かっこいい。

その後も光栄(コーエー)のゲームパッケージや平成ゴジラ映画のポスターなどを手掛けていました。
このゴジラのポスターはしばらく実家の自分の部屋に貼ってました。

小松左京の「復活の日」のこの表紙も生頼さん

そして「幻魔大戦」角川文庫第1巻

去年だったか久しぶり画集が出て買ったばかりだというのに。
地元の九州で展覧会をやってたようですが、ぜひ東京でもやって欲しいなぁ。
生頼さんの描くエキゾチックな女性、結構好きなんです。


享年79歳。
いっぱい楽しませていただきありがとうございました。

現在販売中の画集はこれだけ。生頼範義イラストレーションズとかは絶版なのね…。

生頼範義 緑色の宇宙 (玄光社MOOK illustration別冊)

生頼範義 緑色の宇宙 (玄光社MOOK illustration別冊)

クリストファー・リー


7日に亡くなっていた事が発表されました。享年93歳。え、そんな歳だったの?「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」が02年だから80歳だったのか。なんてかっこいいおじいちゃん。いやぁ亡くなる寸前まで現役ってのはすごい。

 クリストファー・リーと言えば「吸血鬼ドラキュラ」のドラキュラ伯爵が有名です。長身でイギリス紳士らしい立ち居振る舞いは、その後のドラキュラの造形を決定したといっても過言ではないです。そのせいか、怪人、悪役が多かったですが、シスの暗黒面に落ちた、スターウォーズクワイ=ガン・ジンの師ドゥークー伯爵は、その存在感からスターウォーズの世界に、より深みと奥行きを見せてくれました。


 名優逝く。それほど洋画を見ない私ですが、本当に残念です。
 
↓ドゥークー卿とオビ=ワン(クワイガンの弟子オビ=ワンは孫弟子にあたる)、アナキン、ヨーダとの対決まとめ↓

今井雅之さんと今いくよさん

今井雅之さん死去 大腸がんで闘病も…容体急変、54歳
 大腸がんの末期であることを発表していた俳優で演出家の今井雅之(いまい・まさゆき)さんが28日午前3時5分、都内の病院で死去した。54歳だった。兵庫県出身。■14年にがんが発覚し、緊急手術。54歳の誕生日となった15年4月21日にがんのため「THE WINDS OF GOD」の降板を発表。同30日に記者会見を開き、末期がんであることを明かしていた。所属事務所によると、治療・リハビリに励んできたが、容体が急変したという。本人の遺志により通夜・告別式は近親者のみの密葬で行い、後日「お別れの会」を開く。■今井さんは高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。戦車部隊に配属されるが、俳優になるため退職。86年に法政大卒業後、奈良橋陽子演出の舞台「MONKEY」で演劇デビューした。96年には映画「静かな生活」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞した。


今井さん、先月の舞台降板挨拶でがん公表したばかりだったのに早かったな…。色々な作品に出て強烈な印象を残していましたが、一番好きなのはSMAPの中居君と共演した「味いちもんめ」とこれは余り知ってる人いないけど日テレの慎やバラエティドラマ「中居くん温泉」。これ面白かった。
54歳、無念の降板会見が胸に突き刺さります。


と今井さんの事blogにかこうとyahooニュースみてたら、今いくよ・くるよの細い方、いくよさんも無くなっていた驚き。
 今いくよさん急死 67歳、昨年胃がん公表 くるよと漫才ブームけん引
 ベテラン漫才コンビ今いくよ・くるよ」の今いくよ(いま・いくよ、本名里谷正子=さとや・まさこ)さんが28日午後、亡くなった。67歳。京都府出身。昨年9月に胃がんが見つかり、闘病しながらステージに立ってきた。細い体形と濃いめのメークで知られ、84年には上方漫才大賞を受賞するなど、本格女流漫才師として活躍した。葬儀・告別式の日取りは未定。(スポニチアネックス)


 今から30年くらい前の漫才ブーム以来常に第一線で活躍されていました。こちらは67歳。お二人ともまだまだ逝くには早すぎる。


ご冥福をお祈りいたします。

 

菅原文太さんまで…。

 日本テレビの名作ドラマ「傷だらけの天使」で、主人公修の子供の名前は、「高倉健の健と菅原文太の太を取って健太」と言ってました。まさにあの時代の名優2人、相次いで逝ってしまわれました…。
 
 高倉健さんは、着流し長ドス「死んでもらいます」と一人切り込んでいく任侠映画の看板スターでしたが、その様式美が飽きられスタートしたのが「仁義なき戦い」を代表とする実録ヤクザ映画。そのスターが菅原文太さんでした。
 ヤクザ映画が下火になっても精力的に映画に出続け、「トラック野郎」シリーズのようなコミカルな映画、「太陽を盗んだ男」の沢田研二を追いつめる不死身の山下刑事など印象に残る数々の役をこなしてました。

 映画スターであり続けた健さんと対照的に、CMやTVドラマにも沢山でていました。今の人は知らないだろうなぁ冷蔵庫のCM「時代はパーシャル!」

北の国から'92巣立ち 」の裕木奈江の伯父さん役や、NHKの大河ドラマ獅子の時代」など主演助演に関わらず常に印象を残す役者さんでした。


 「千と千尋の神隠し」の釜爺や「おおかみこどもの雨と雪」の韮崎のじいさん役など、声優としても活躍。声が渋い!

 そういえば、上の子がお腹の中にいた頃、長い休みに出かけることができずレンタルビデオで「仁義なき戦い」5部作を見続けた事を思い出しました。胎教に実録ヤクザ映画というのもどうかと思いますが、至って真面目に成人してくれてほっとしています(^_^;)。


 11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため、東京都内の病院にて逝去。享年81歳。
 そして昭和の名優がまた一人…(T_T)。

 ご冥福をお祈りいたします。

ジョニー大倉

チ・ン・ピ・ラ  HDリマスター版 [DVD]

 11月19日に亡くなっていたそう。肺がんで闘病中だという事も知りませんでした。
 昨年6月に肺がんで余命2週間の宣告を受けていたものの、抗がん剤治療を受けて今年3月に退院。4月には約1年ぶりにステージに立つこともできたらしいのに…。
 キャロル時代はよくわかりません。俳優をやるようになって「チ・ン・ピ・ラ」「遠雷」「疵」とかが印象に残ってます。
 決してかっこよいわけじゃないんだけど、「チ・ン・ピ・ラ」の時は、柴田恭兵、「遠雷」の時は永島敏行、「疵」の時は陣内孝則のそれぞれ強烈な個性に対して、人間的な弱さが妙に印象に残る演技が秀逸でした。

 おそらく私そのものが、主役の派手で個性的な人間じゃなく、どちらかというとジョニー大倉が演じたような弱い人間だからなのかもしれません。だから観ていて共感はするんだけど、どこか否定してしまう。

 
 享年62歳。もう少し観てみたかった。名バイプレイヤーです。
 「チ・ン・ピ・ラ」見直してみよう。。

高倉健さん(/_;)


 昭和の名優がまた逝ってしまわれた。
 とはいえ、健さん出演作品を沢山見ているわけではありません。70年代の任侠ものは皆無。1955年というから、私が生まれる10年も前にデビュー。1963年『人生劇場 飛車角』以降の任侠映画、1965年『網走番外地』シリーズを経て、東映から独立。ここら辺の作品はポスターを観た程度。そしてフリーになってからの1977年の『八甲田山』同年『幸福の黄色いハンカチ』これくらいから観るようになってきました。

 『幸せの黄色いハンカチ』は私の中でベストテンに入る名作。高倉健といえばヤクザ、網走番外地というイメージはありましたから、その健さんが網走刑務所から出所して、待ってくれているかもしれない女性(倍賞千恵子)の元に桃井かおり武田鉄矢と共に向かうロードムービー。冒頭駅前の食堂でビールとラーメンを食べるシーン。これがもう本当に美味しそうに飲み食べる。演技に厳しい山田洋次監督も一発OK。撮影後どうしてあんな演技ができるのかときいたら、2日間何も食べていなかったといったそう。沢山の黄色いハンカチがはためいているのは、映画のポスターの絵柄で、よく考えてみればこれってクライマックスのネタバレ全開。そうみんな最後がハッピーエンドだってわかってるのに、夕張の街をひた走る赤いファミリアに乗った3人と一緒になってドキドキしてしまう。

 翌年角川映画第3弾「野性の証明」で元特殊部隊員の味沢を演じる。薬師丸ひろ子のデビュー作。これがまたかっこいい。養女として育てた娘に父母を殺した犯人と疑われ続けながらも、全身全霊をかけて守る姿は、男の中の男。当時高倉健47歳。設定上の年齢は判りませんが、今の私とほぼ同い年なんだ…。渋い、渋すぎるよ健さん
 

 ハリウッド映画「ブラックレイン」も良かった。松田優作の遺作となった本作は彼のすごさばがりがクローズアップされがちですが、高倉健さんの日本人の美徳を体現していた姿も素晴らしかった。
 ↓予告編↓


 スクリーンの中も外も魅力に満ち溢れた高倉健さん。男の生きざま見せてもらいました。健さんみたいになりたいけど、どう考えても自分のキャラじゃない。。でも実は結構お茶目立ったという逸話もあり、真面目なお茶目という路線だったら行けるかも。


 まさに邦画界の至宝。
 お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。
 明日はお休み。いくつかもってる健さん出演作品の追悼上映をしよう。。


 「野性の証明」より、”戦士の休息”


 


 
 

仲村秀生さんといえば…。


 TV版の「あしたのジョー」「―2」の力石徹と「宇宙戦艦ヤマト」の航海長、島大介。「ド根性ガエル」の南先生も。特撮ものでは「ロボット刑事」の主人公Kの声もそうでした。
 主人公の声を演じる富山敬神谷明石丸博也のような所謂ヒーロー声ではなく、落ち着いたバリトンでドラマに深みを与える声が素敵でした。
 昔から親しんでいた声がまた一人いなくなってしまわれた。残念です。
 

 享年79歳。ご冥福をお祈りいたします。


 youtubeにも故人を偲ぶ動画がありました。
 
 

永井一郎さん逝く。


 82歳だったとは思えない、ハリのある声で生涯現役でしたね。
 一般的には「サザエさん」の波平役で有名でしたが、それ以上に名だたるヒット作に出演、声優を知らない人でもこの方の声を知らない人はいないに違いない。
 私的には、
 「ど根性カエル」の町田先生「くぅ〜教師生活25年!」…え、25年ってことは、町田先生47-8歳なんだ…。
 とか
 「母を訪ねて三千里」のペッピーノ一座の座長
 「ザンボット3」の神北兵左衛門
 「未来少年コナン」のダイス船長
 とありますが、
 なんといっても「機動戦士ガンダム」の八面六臂の大活躍は凄すぎです。
 ナレーションだけでなく、デギン・ソド・ザビ、マッシュ、ティアンムデミトリー、デラミン、ドレン、エルラン、赤鼻、ゴップ、コンスコン、タムラ、タチ、Dr. フラナガン、ブラナガン・ブーン、バイス、バムロ、ハンブル、ビービ、ゼイガン、ペルガミノ、フラウ・ボゥの祖父(wikiより)
 って、なんちゅーかやりすぎでしょうww
 「うる星やつら」の錯乱坊(チェリー)もハマり役。

 「宇宙戦艦ヤマト」旧作では、佐渡先生と機関長、徳川彦左衛門って、メインキャラクターを2人ともやってたっけ。


 声優だけでなく、ナレーションも多数こなし、TBS土曜日の「情報7Daysニュースキャスター」でも毎週ニュース映像のナレーションしてました。


 声優の地位(収入)向上にも尽力をされていました。
 波平さんの賃金がこんなに低かったとは…↓
 http://www.nippairen.com/news/hist1986/h198609.html


 死因は明らかになっていませんが、心臓に持病があったそう。浴室で発見されたということで、恐らくヒートショックが原因と思われます。浴室メーカーに勤務している事もあり、「ヒートショック」の危険性は昔からしっていました。年間の死亡者数は一万人以上、交通事故で亡くなる方よりも全然多いんです。
 室温の変化によって血圧が急激に上昇したり下降したり、脈拍が早くなったりする状態のことを「ヒートショック」といって、心臓にすごく負担を掛けています。
 お風呂に入る時「ヒヤッ」としないようにする浴室暖房、健康な時は「こんなん必要ない」とよく言われますが、上手く使って「ヒートショック」予防をして欲しいものです。

 
 突然の訃報、大変残念です。
 ご冥福をお祈りいたします。
 

父親の死

 ピーター・オトゥールの訃報の翌日、父親の訃報を書く事になろうとは…。
 昨夜遅くに姉貴からTELがあり父親の危篤を知りました。一応いつでも実家にかえる準備をしてベッドに入ったものの中々寝付けず、それでもうとうととしてきた4時過ぎ、また姉貴から息を引き取ったという電話がありとるものもとりあえず出発。2週前に緊急入院をしてお見舞いに行った時から長くないといわれ覚悟はしていたけど、思った以上に進行が早かった。

 家族は誰も死に目に会えなかったけど、苦しまずに逝ったのが唯一の救い。


 さてそれからが大変な1日の幕開けでした。やたらめったら決め事の嵐。しかも何しろ初めての事。
 姉貴と私は家族でしめやかにおくろううとしているのに、おふくろはどんどん話を広げようとする。病院から遺体をひきとってから、一報をいれた友人親戚が次々とやってくる。それはそれで嬉しいことだけど、問題山積で満足な応対もできない。でも話好きのおふくろは仔細説明をしだしたりして…。


 明日も今日の続き。明後日のお通夜、明々後日の葬儀まで気が抜けません。
 実父の死でもまったく涙も出やしません。