日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

南三陸町ボランティア記(長文注意)

 
 金曜日の23時、いつも通り大宮駅発のバスに乗り、5か月ぶりに南三陸町災害ボランティアセンターに向かいました。
 津波被災地ボランティアも4回目。行くたびに"片付け"は進んでいますけど、だだっぴろい土地が広がっていて、"復興"というには程遠い感じでした…。
 (赤い丸が今回作業したところ)

 実際の津波の様子は、youtubeで今もたくさん公開されてます。今回作業したのは、この動画にある津波が押し寄せた場所。南三陸町廻館(まわりだて)地区。
  海岸から1kmくらい、志津川高校の東側の耕作地の復旧支援でした。津波の進行であらゆるものが流されたところ。既に大きなものは撤去されていますが、細かな石やプラスチック類などが流されてきた土砂の中に埋もれており、それを人海戦術で拾いました。
 畑とはいえ、津波をかぶりとても固くなっているところに、スコップやピッケル、鶴嘴なんかで少しずつ掘り返しては、石(500円だまより大きい)や瓦、ブロックの欠片、プラスチック、金属類をひとつひとつ拾い集め分別し集積場にまとめて捨てます。この作業を延々続けます。全員、腰を折り穴を掘り、黙々と石を拾い続けバケツに集める姿は、まるで"賽ノ河原"。ボランティアセンターの人が休息所としてテントを用意してくれましたが、日差しを避ける木立などなく、東北の海岸沿いとはいえとにかく暑かった。座りながらの作業で、後頭部に直接日光を浴び、朦朧とする中での作業。熱中症寸前。現地では、自分の持ってきた500mmのペットボトル3本と支給されたミネラルウォーター2本を全て飲んだにもかかわらず、一度もトイレに行かなかった。全部汗で出したようです。
 作業中、ソフトが刺さったままのゲームボーイカラーがありました。誰か遊んでいたんだろうなぁ。大変なのは、塩ビ管とかコードとか。見つけたはいいものの引っ張って掘りだせるものでなく、延々終わりをたどって掘り起こす。あと、側溝のふた。普段何気なく踏みつけているコンクリート製の側溝のふた、重いわ大きいわしかも埋まってるわ。これを体力のなくなった午後に見つけた時はもう絶望しかありませんでした。結局掘り起こしましたけど。こういうものが機械での整地作業時にあると確かに邪魔だし、機械でも歯が折れてしまう。人がやるしかないんですよね。
 総勢40名程度で一列に並び、1日で作業できたのは100m×10m程度。旧JR志津川駅までは、まだまだ途方もない広さが残ってる。ボランティアセンタースタッフの方によると、今年度いっぱいにここがきれいになるかな、とのこと。しかし今回団体での参加は、私たちと他1組。他個人参加の混成チーム。来るたびに団体参加者が減っていて、それでも現地の作業はまだまだあり、愕然とします。
 

 今回、私たちの人員は22名。基本は社員とその家族。お盆休み最終日という事もあり、参加はいつもの半分。これを多いとみるか少ないとみるかは人それぞれ。みんないろんな事情を抱えて生活をしているわけだから、バス1台運行出来ただけでもよし。それでも、単独参加者だけでなく、お子さんと一緒に参加された方もいて、素晴らしいと思いました。うちの子に声かけても行かないからなぁ。正直、物見遊山に行くところではないし、でも、あの現状は目に焼き付けておくべき事だと思うのです。そういう機会を親として作りることはやっぱ大切な事だと思うんですよね。


 帰りはいつも行っている"南三陸さんさん商店街"に。

最近TVとかでやっている地元の名物、「きらきらウニ丼」食べたかったけど、時間なく断念。というより食欲よりも水分欲が強く、とりあえず缶ビールを飲む。

 
 さんさん商店街をを後にし、時間調整の為大江戸温泉物語系列のスーパー銭湯「コロナの湯」に。
 はじめてボランティアに参加した時は、作業後即帰宅、終電ぎりぎりですごく疲れたんですけど、2回目からのバスでは、翌日着にはなりますが、ここで食事とひとっ風呂あびることで疲れをいやし、バス車内ではゆっくり休めるので大変ありがたい。
 とりあえずすぐに風呂に入り、出て飯とビール。足りずにハイボールも追加。
 

 
 どんだけ呑んでも渇きが癒えません。。

 で、出発までベッドが置いてある"休み処"で爆睡。23時に出発、気が付いたら佐野SA。まだ3時。仙台佐野間4時間ってすっげ〜速い。ここで時間調整をし、始発も動きはじめた5時帰着しました。


 今回行ってみて、勿論2年半前に比べればずいぶんきれいになってきています。でも震災・津波前の生活を取り戻すには至っていないどころか、まだまだ先が見えない状態だということを感じました。物理的な状況がそんなだから、実際に被災され家や仕事場を流された人の心情は如何ばかりかと。
 
 阪神大震災の時には思わなかった寄り添う気持ちが強いのは、東京にいましたが実際に自分もあの震災を体験した事が大きいと思ってます。自分など揺れを感じた程度でしたが、あの地震で何もかも失くされてしまった人がいる。そう思うだけで少しでも役に立てることがあればして行きたいと思ってます。たかが数回現地ボランティアに参加しただけで、それ以上のことは何もしていないので、個人的に現地に行ったり、何日も現地入りしている人に比べれば、どーってことはないですけど。
 事情はいろいろあるし、現地に行くことが全てじゃないとも思います。でも少なくとも同じ日本でいまも辛い想いをしている人がいるということは忘れないようにしたいなと思ってます。
 また機会があれば現地に行きたいと思います。現地ボランティアスタッフの皆さん、主催頂いたNさん、ご一緒された皆さん、ありがとうございました。