よく「普通さー、○○じゃない」とか「○○って常識だよねー」とか言います。
でも、「普通」とか「常識」って、百人百様だったり、あるコミュニティでしか通用しないものじゃないかと、最近よく思うんです。
ある人やコミュニティでは「普通」や「常識」だったりすることが、他の人、他のコミュニティでは全然「普通」でも「常識」でもない。一般に照らし合わせての「普通」や「常識」だと思っていても、相手にとっては「普通」でも「常識」でもない。
こういう「普通」や「常識」の違いが、諍いに発展する。北朝鮮の常識はアメリカにとっては非常識。大小はあれども、普通や常識を振りかざすことの胡散臭さを認識しないといけない。そう思ったら「普通○○だよね」ってなかなか言えなくなる。
とはいえ「○○って常識じゃない?」と言われたときに、「いやいや、それはあんただけの常識でしょ」というと角が立つので、そこは否定しない。どの人が語る「普通」も「常識」も、そう考える理由があるはずだ、と考える。そしてどうやったらこっちの「普通」や「常識」を理解してもらえるかの糸口を探るようにする。これが交渉ではないかと。
自分の考える「普通」や「常識」とはより近い人と友達になれる。
♪1年生になったら、友達百人できるかな。というのは、まさにこういう「普通」や「常識」を共有できる人を見つけるかってこと。