日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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「羅生門」

 芥川龍之介青空文庫/kindle
 「恋は雨上がりのように」であきらの高校の補講のテキストが芥川龍之介の「羅生門」でした。久しぶりに読みたいと思い、kindle経由で青空文庫版をDLL。

 朱雀大路にある平安京の正門「羅生門」は、華やかなりしころの面影はどこへやら。飢饉や異常気象で都は大いに乱れ、それを現すかのように羅生門も朽ち果てていた。そこにたどり着いたのは、主人から解雇された下人。こんなご時世で失職して途方に暮れる下人。これからは泥棒でもして食いつなぐか、はたまた野垂れ死ぬかの二者択一。死ぬのは嫌だし、かといって盗賊になる勇気もない。ふと見上げると楼閣に人の気配がある。恐る恐る登ってみると、老婆が捨てられた死体から髪の毛を抜いている。正義感から老婆を難詰する下人。老婆は、髪の毛を集めてカツラ屋に売って金を稼ごうとしているという。しかも髪の毛を抜いていた死体の女は知り合いで、こいつは蛇を4尺(12,3cm)に切り分け、干した魚と騙して売っていたそう。生きる為とはいえ、そういう悪い奴だから死んだあとに髪の毛くらい取られても文句は言えないという。
 それを聞いた下人は、「俺だってこうしないと生きていけないんだ」といって、老婆から粗末な衣服をはぎ取り、闇の中に消えていった。
 下人の行方は、誰も知らない。


 最後の一文は、度々代えられています。
『帝国文学』の初出では
「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」
とあり、
第1短編集『羅生門』では
「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」
という風に、下人は盗人になったことを明確にしていますが、
初出から二年半たって短篇集『鼻』(1918年大正7年7月(春陽堂))収録時に現在の
「下人の行方は、誰も知らない」
となってます。


芥川の心境はどうなんでしょう。
確かに下人は盗人になったような気がしますが、一方で老婆の所業を見て老婆から着物をはぎ取りはしたものの、それまで盗人か死かを悩んでいた割には、軽く盗人に傾斜しすぎのような気もします。そこで「下人の行方は、誰も知らない。」で読者にラストを委ねているとも思えます。


私的には、こう考えます。
羅生門から老婆の着物をはぎ取りそれを抱えて飛び出したものの、果たして本当にいいんだろうか、と下人は再度悩むような気がします。そして、朝、雨に打たれながら動かなくなった下人の姿が都大路で発見される。老婆の着物は近くに座っていた女の子が身に付けている。羅生門から駆け出した下人は、雨の中寒さに震える女の子に逢い、持っていた着物を与えた下人はそこで力尽きて死んでしまった。とか。綺麗すぎるか…。

 人の本質は悪ではないと思います。いや、せめて絵空事の世界だけでも美しい人の心が見たいと思うのです。