弓道をやる人は必ず読む名著オイゲン・へリゲル「弓と禅」
そこにこんな一説がある。
ある日私は師範に尋ねた、「いったい射というのはどうして放されることができましょうか、もし“私が”しなければ」と。
「“それ”が射るのです」と彼は答えた。
「そのことは今まですでに二、三回承りました。ですから問い方を変えねばなりません。いったい私がどうして自分を忘れ、 放れを待つことができましょうか。もしも“私が”もはや決してそこに在ってはならないならば。」
「“それ”が満を持しているのです。」
「ではこの“それ”とは誰ですか。何ですか。」
「ひとたびこれがお分かりになった暁には、あなたはもはや私を必要としません。そしてもし私が、あなた自身の経験を省いて、 これを探り出す助けを仕様と思うならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり、教師仲間から追放されるに値するでしょう。 ですからもうその話はやめて、稽古しましょう。
東北帝国大学の弓聖と呼ばれた名人阿波研造範士とドイツ人オイゲン・ヘルゲルの会話です。
最近、というか先生によく言われるのが"力で離している"ということ。その回答がこれなんだろうなということは頭では分かっているのですが、どうしても意識的に離してしまう。
今日も練習して"それ"を待ったけど"それ"は来なかった。それどころか、"それ"を待つ為いろいろなところを修正していたらこれまでの射が判らなくなった。おかげで矢はまったく的を捕らえない。
"それ"はいつ私のもとに来るのか…。
- 作者: オイゲン・ヘリゲル,稲富栄次郎,上田武
- 出版社/メーカー: 福村出版
- 発売日: 1981/11/01
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