日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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いつ死ぬか判らない。

 昨年の今日、母親が亡くなった。正確には2017年4月20日22時頃らしい。
 前年舌癌になり、入院することもあったり、軽度の認知症になったりと、姉貴と交互に実家に帰ったりケアマネのお世話になったりしていてはいましたが、取り敢えず元気で、なんとなくこれからどうしようかと話していた矢先の逝去でした。母親にしても、弱ってはいましたが気力はあったので、死というものが近づいていることはわかっていても、覚悟みたいなものはなかったと思います。

 交通事故や病気や、加齢以外でも人はいつ死ぬかわかりません。残された人にも生活があって、近親者の死は精神面だけでなく物理的にも様々な問題が降ってきます。残された人にできる限り負荷をかけないようなしくみを元気なうちに自分で用意しておくことって、かなり重要な事なんじゃないかと改めて思います。
 人は実は死に向かって歩いている。
 吸収、開花の時代を過ぎ、明らかに峠を越えた世代である私。本来であれば欲求を満たすために新しいことをするよりも、これまでため込んできたものの整理をしないといけないんだけど、まだまだやりたいことがいっぱいあって、知識にしても技術にしても貯めこんでしまう。これって、今までしっかり学んでいなかったツケが来ているんだと思う。人生半世紀を越えてまだまだ学び足りていない未熟な感じ。いまだに吸収の時代。

 確かに何かを追い求めている状態というのは、間違いなく若さを保つ秘訣だと思う。ところがそれは死の準備とは真逆の状態。今は、定年が延長され年金支給も先延ばしされて、否応なく生涯現役を要求される。好きな事や手に職系の仕事であれば生涯現役はうれしい事かもしれないけど、生活のために働くサラリーマンにとって退職後は第2の人生とかいって、現役時代にできなかった事(現役時代はやりたいことがあったけど、どうしても仕事が優先となってできなかった事)をしようとする。これではいつまでたっても死出の準備はできません。
 昔、老人が死んでも残された人はそれほど大変じゃなかった。勿論お金持ちは遺産相続とか骨肉の争いとかあったでしょうが、少なくとも庶民はお盆、お彼岸、命日などを忘れずに供養していればよかった。それが現代になると、まずは役所や保険やその他諸々公的な届け出も沢山あり、遺品の整理で四苦八苦する。

 私たち世代以降は、やりたいことをやりつつも、しっかりと"終活"を考えて日々過ごさないといけない。
 だからと言って、何もせず枯れるわけにもいかず、そこらへんの折り合いはかなり大変だと、母の命日に際し改めて思うのでした。