日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

「天皇の料理番」

天皇の料理番 上 (集英社文庫)  天皇の料理番 下 (集英社文庫)
杉森 久英著・集英社文庫
宮内省大膳職司厨長(料理長)を務めた秋山徳蔵の物語(原作では秋沢篤蔵)。1980年に堺正章主演、2015年委佐藤健主演でドラマ化されています(1993年に高嶋政伸主演でTVスペシャルドラマがあったらしいですが知らなかった)。

何をやっても続かない篤蔵は、婿養子に入った海産物問屋の使いで行った地元の鯖江連隊の厨房でカツレツを初めて口にする。人生で初めての西洋料理に衝撃を受けて、西洋料理人を志し、婿養子先を出奔、妻を残して兄を頼り東京に出る。兄の恩師を通じて華族会館に小僧として勤めるようになる。いつまでたっても皿洗いから抜け出せない篤蔵は、西洋料理を学ぶべく単身フランスに渡る。大使館の紹介で一流ホテルで仕事ができることに。
持ち前のきかん気と手先の器用さ、熱心さが認められて徐々に頭角を現してくる篤蔵。そして大正天皇即位行事における、来賓に振る舞う料理の調理を指揮してほしいとの要請を受け宮内庁大膳寮、天皇の食事を作ることになる。

実際に天皇の料理番として有名な秋山徳蔵を主人公にしたフィクションですが、エピソードは史実に基づいているらしい。
明治から大正にかけて、まだ日本に西洋料理が珍しかった時代。フランスに渡り人種差別とも戦い、日本男児としての気概を忘れず技術を習得した篤蔵の行動力は本当にすごいのですが、それも周りの人の篤蔵への助力、理解があってこそ。フランス行きも裕福な実家からの支援だし、そもそも実兄からの紹介がなければ華族会館で働けなかった。
そういう意味で、篤蔵は常に一流の料理人としての場所を与えられ続けている。金に糸目をつけずに料理が作れる場である華族会館、フランスに渡ってからも一流のホテル、レストラン、そして帰国してからの宮中。
後年、師匠からの料理は真心を座右の銘にしているが、篤蔵に真心を語る資格があるのかがどうしても引っかかった。
料理がしたいのはわかる。でも、郷里に妻を残し自分のやりたいことをやり続けることのどこに真心があるんでしょう。その後別の人と結婚するものの仕事の為に家庭を犠牲にする。病気になった妻が先立って最愛の妻みたいな描写もあるけど、だったらなぜ生きているうちにもっと大切にしなかったのか。
挙句の果てに夜中酔っぱらって妻の墓に部下を連れて行きお参りをさせるなど、時代を鑑みてもちょっと異常です。

りっぱな人、美談であるという風に書かれているところが、どうも理解できない。

いや、凄い人だとは思うのです。努力家だし負けん気強くて、徒弟制度の厳しい時代に自分の信じる道を突き進むバイタリティ。日本での西洋料理の第一人者というのはその通りでしょう。
でもだからといって、周りの人を不幸にしていいということにはならず、そんな人から”まごころ”なんて言葉が出てきても正直信用なりません。

ドラマとしては面白いですけど、実際にはちょっと…。