弓道は反省のスポーツだと思う。毎回、弓の練習をする前に、礼記射義(らいきしゃぎ)を全員で斉唱します。
「射は、進退周還 必ず礼に中り、内志正しく 外体直くして、 然る後に弓矢を持ること審固なり。弓矢を持ること審固にして、然る後に以って中るというべし。これ以って徳行を観るべし。射は仁の道なり。射は正しきを己に求む。己正しくして而して後発す。発して中らざる時は、則ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ。」
この文章は、今から2500年位前、孔子の説かれた「礼」についての考え方を集約した「礼記(禮記)」の中にある射義について描かれた一節です。
ここにあるように、「発して中らざる時は、則ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ」なわけで、勝ったものを怨んじゃいけない。当たらないのは、自分が悪いってこと。
今年から復活し、毎週日曜日AMは原則弓道に充ててはや半年、いまだに完全復帰できません。週1回なので、仕方ないのですが。
自前の弓は、鹿児島都城市の工房で作られた薩摩弓。銘は桑幡道信。購入時は17kgということでしたが、弓から離れ10年以上弦を掛けていなかった為、反りが強くなっていて、今日測り直してみたら、21kgもありました。ここ数カ月使ってこれだから、今年の初め位は、25kgを越えていたに違いありません。再開当初は道場の弓を借りていましたが、やはり自分の弓を引きたくなり、練習を重ねてきましたが、どうしても射形が思った通りに決まらない。当然、当たりも出ず落ち込む日々。
しかしながら、ここで弱い弓に変えそれに慣れてしまうと、この弓が引けなくなる、そんな恐怖から使ってきましたが、さすがに限界です。
そんな様子は高段者の方には見抜かれてしまうもの。「射形の乱れは、弓に負けているからです。」と指摘を受けました。そーなんです。仰るとおりです。最近は、20本も射ると肩が痛くなってしまうのです。
これからも弓を続けるなら、道は2つ。とにかく身体を鍛えて強い弓に負けない筋力を身につけるか、一度弱い弓に戻り、射形を整えてから再起するかのどちらかです。
弓って、高いんですよね。私の弓は竹弓で、10数年前に買った当時で8万位。今なら10万近くするでしょう。何しろ、竹弓って作る人は年々減っていて、1本1本手作り。私の弓も伝統工芸品のシールが貼ってあります。グラスファイバーの奴でも4,5万くらい。買わずに道場に弓を借りようか…。勿論筋力upトレーニングは継続して。
弓って力で引くものではなく正確な型が出来れば多少強い弓を引く事ができます。しかし今の状態は、正確な型が出来ていない為、”筋力”で引いている。これでは、ちゃんとした射をする事ができません。
今年度最後の昇段審査は、来年2月3日鎌倉武道館であります。段位に拘るのは良くないかもしれませんが、でも参段までは行きたい。ここに照準を合わせて葛藤の日々が続きます…。