映画「Fukushima 50」のノベライズ。映画脚本を元に書かれていますから、ほぼ映画に沿った展開。ただし恐らく決定稿からのノベライズなので、カットされた部分も残っていることで映画を補完する役割があり、映画とは違った楽しみ方もできます。ノンフィクション→映画ですので、現実とは異なる(と言われる部分)もあり、困難に立ち向かった人々をクローズアップするために本店の小野寺常務や総理大臣が分かりやすい敵役として描かれます。ここは、現実との違いに目くじらを立てず原発の暴走を抑える為に頑張った人たちに感謝。
実際に起きた出来事を映画化するのは本当に難しい。例えば、J・キャメロン監督の「タイタニック」ではマードック一等航海士が賄賂を受け取ったあげく、乗客を射殺した殺人者かのように描いた為、遺族や関係者から批判が出た。既に関係者のほとんどいない事件ですら、このような事が起きる。ましてたかだか9年前の事故で、関係者は存命しているし、様々な記録があり、更に政治的な話にも発展する話だったりすると、物語がほぼ事実だったりするので余計に悪く描かれた人の支援者や、あたかも原発事故を起こした東電社員をヒーローのように扱うことに批判的な人が出て来たりして、そういう現実とフィクションの区別がつかない輩がこの映画を貶める論陣を張っています。
よくヒロインを虐める悪役の演技が上手い俳優さんが街を歩いていて、ドラマの視聴者から後ろ指を指される、酷い時は文句を言われるなんてことが今でもあるようです。
世の中には、物語を読む”リテラシー”のない人が多いという例です。
「fukushima50」は、単に危機的状況の中で命を掛けて頑張った人がいた。人が命を掛けるというのはどういうことかを描いた物語です。
映像が真に迫り、しかも冒頭に「この物語は現実に起きた事」とのテロップが出ることで、あたかもノンフィクション的なアプローチがされたことが余計、現実と虚構の世界を曖昧にしてしまっている。
物語ではあるけれど、あの時事故の現場にいた人がまさに身を挺して最悪の事態にならない様に踏ん張ってくれたおかげで今があるのは紛れもない事実でしょう。そこを社員だから当然というというのはいくら何でも心がなさすぎです。
そして9年経って今は新型コロナウィルスの影響で、医療現場は同様の状態になっている。
困難な状況の中で頑張っているプロフェッショナルには、感謝と敬意を贈る気持ちは常に持っていたいと思いますし、自分がその立場になったら逃げずに立ち向かい続ける心の強さを、こういった物語に触れることで養っていかないとなと思います。
映画「fuukushima50」は、あの震災を少しでも体験した人は是非見て欲しい。その時は色眼鏡をかけないで素直な気持ちで。。

- 作者:周木 律
- 発売日: 2020/01/23
- メディア: 文庫