門田隆将著・角川文庫
現在公開中の映画「Fukushima50」の原作ノンフィクション。あまりに巷間の映画評が、私を含め賛辞派は高い評価、否定派は最悪な評価と極端な賛否両論になっており、現実はどうだったのかを知りたくなり即購入しました。
結論として「映画として事実の取捨選択はあるもののほぼ事実に即している」というのが感想です。
もっとも、映画はフィクションにしても、ノンフィクション、ドキュメンタリと銘打っていたとしても、そこには著作者の視点、ディレクターの視点という”フィルター”が掛かっているわけだから、まったくの現実とは異なる。さらに言えば、当事者であったとしても、一人ひとり持ち場が違えばその感想は異なる。では何をもってノンフィクションといえばよいのか。
すくなくともこの本では、吉田所長を中心にあの時最前線にいた人の複数の証言、官邸にいた菅首相、原子力安全委員会のメンバー、お亡くなりになった社員のご家族にまで丹念に証言を集めて事実の周辺を固めている。
映画では、巷の評判”イラ菅”そのままにカリカチュアされているような菅首相の描写や、篠井英介の本店常務の現場に冷たい演技がまさに現場に対する”悪役”と描かれ、かつ短い時間故に言葉足らずで描写しきれなかった点を、鬼の首でも取ったかのように「事実と違う!」と声高に叫んでいるのが映画否定派の主な意見。現場の大変さ崇高さが強調されているのは、2時間の物語としては正しいし、少なくとも映画内の原発事故の様子は、日本人なら見るに値すると思います。
本書では、吉田所長病床での証言「格納容器が爆発すれば、放射能が飛散し、誰も近づけない。福島第一第二あわせて10基の原子炉がやられるので、その被害は単純に考えても、¨チェルノブイリ×10¨の数字が出ます」とか、それを受けて班目春樹・原子力安全委員会委員長の証言「日本は¨三分割¨されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」が事故後の証言として記録されています。また、映画では表現されていなかったですが、事故後菅元首相に取材し、なにが、彼をあのような行動に駆り立てたか、元首相の言い分をきっちり紹介しています。
確かに事故は世界的に見ても悲惨なものだし、それが東電や政府の甘い予測や経済優先、予算をケチった結果に起きた人災であることは間違いない。それでも、最悪な事態を招かない様に身体を張って頑張った人々がいた。そのことについて知り、感謝をすることは、今無事生活が出来ている日本人はみんな知るべきだし、だれも彼らの頑張りを否定することはできないと思います。
変な色眼鏡で見ることなく、映画は観て欲しいと思うし、合わせてこの原作を読むと更に理解が深まると思います。
- 作者:門田 隆将
- 発売日: 2016/10/25
- メディア: 文庫