学生の頃、夏の1ヶ月三宅島でキャンプの指導員を少しだけやってました。
行っていたのは、1985年の夏と翌年の春。
83年に噴火があって、落ち着いていた時期。その後、2000年に大きな噴火があり、しばらく行けない時期があり、今は雄山周辺は立入禁止になっていますが、周辺は生活できるみたい。私が行ってた時は雄山登山はキャンプのメインイベントだったなー。
あの頃、「自然に帰ろう○日間」とかいって、子供たちを自然の中で過ごしてもらうプログラムが流行ってました。
一応旅行会社のスタッフバイトですが、1日2000円のバイト代は当時でも破格の安さだったので、苦学生だった私は長く続けられず、ひと夏と翌年の春だけの活動でした。
で、その時に三宅島と東京を往復したのが、すとれちあ丸とさるびあ丸という船(貨客船)。
夜、竹芝桟橋から出発し、翌日の朝5時頃三宅島に到着します。
仕事は、子どもたちを迎えキャンプリーダーになる週とバックスタッフになる週を交互にやります。
スタッフになるためには、ロープワークや火起こしなどのアウトドア知識、三宅島の動植物のこと、満点の星を眺めながらの星のお話などちゃんと覚えないといけなくて、それはそれでおもしろかったのですが、ま、この時期に一生分のアウトドアをやったので、もうアウトドアはお腹いっぱいな感じ。血肉になってるから、今でも少しは出来ます。
さて、そんな思い出のさるびあ丸。
夏場に 納涼船という名目で、東京湾を2時間ぐらいクルージングをするイベントをやっています。
今日は、コロナ前まで毎月参加していたカラオケの会のお友達がうちの会社にお仕事で来るという連絡をもらい、「折角の機会なんで飲みましょう♪」ということになり、「竹芝近いからさるびあ丸乗りませんか?」とお声がけいただく。
こちらとしては存外の喜び。37年ぶりのさるびあ丸乗船となりました。
といっても、わたしが乗っていた船ではなくもう3代目になるんだそう。
離岸して進む船。もうね、懐かしくてうるうるきちゃいました。
このまま三宅島に行きたいくらいです。
すごく大変で、若いから出来たんでしょうけど、三宅島でのキャンプ指導員はやっぱり自分の人生の大切な一部分になっています。
Hさんありがとうございました。楽しかったです(^.^)/。