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「「仮面」に魅せられた男たち」

「仮面」に魅せられた男たち
牧村 康正著・講談社
1960年代以降生まれで、”仮面ライダー”と聞いて心ときめかない男子はいない。今も続く仮面ライダーですが、第1作は1971年4月3日。シリーズの継続性はなく、中断はあるものの50年以上も「仮面ライダー」の名前を冠した番組が続くとは思いませんでした。

この本は、仮面ライダー誕生の話ですが、主人公は今はもう無くなった東映生田スタジオ。初代所長の内田有作を中心に集まったいずれも癖のある人々。疑斗(今でいうスーツアクター)の大野剣友会の面々、監督、助監督、脚本もヤバそうな人ばかり。こういう人をまとめ上げた内田有作という人がいなければ仮面ライダーは日の目を見ることはなかった。

生田スタジオの成り立ちもすごい話で、1970年に翌春の新番組として『仮面ライダー』の制作が決定していたものの、その頃の東映は労使関係が泥沼化しており大泉のスタジオでの番組制作が難しい状況。、大泉以外の場所を探すように内田有作に指示が出される。そこで見つけたのが、川崎市多摩区(現麻生区)にあった貸しスタジオ。掘っ立て小屋のような建屋、場所も平地ではなくトランポリンもつけられない劣悪な条件下であったが、放送開始まで時間がなく71年の年明けに賃貸契約が締結、東映制作のTVドラマ『柔道一直線』で殺陣をしていた大野剣友会が協力し、内田を所長として「東映生田スタジオ」が立ち上げられる。
体のいい厄介払い的な感じで作られたスタジオで、心意気だけ(といっても過言ではない)で作られたのが”仮面ライダー”だった。

そんなことはつゆ知らず、とにかくこれまでにないヒーローに完全に目を奪われました。最初のクール(旧1号)は全体的に暗い色調で怪奇色が強かったけど、主役の本郷猛(藤岡弘)が、初回放送直前に大事故で戦線離脱して、苦肉の策で現れた仮面ライダー2号、一文字隼人(佐々木剛)から、変身ポーズをはじめ全体的にアクション多めで明るくなって人気が爆発。
ただその頃もスタジオ経営は火の車、今では当たり前の版権ビジネスも、本社に吸い上げられてスタジオまでまわってこない。そこで考えだされたのが大野剣友会が主体となって全国各地で行った”仮面ライダーショー”。これが大あたり。でもまぁ当時のどんぶり勘定で結局生田スタジオとの賃貸契約はわずか7年で解消されます(最後の作品は1978年『透明ドリちゃん』)。

なんというか、改めて仮面ライダーはこういう場所だからこそできた作品だという印象です。金に頓着せず、あっと驚く作品を世に送り出そうという情熱で出来上がっている。

既に東映生田スタジオなくなってますが、実は今住んでいるうちのすぐ近くにあったということで、より感慨深い。

ハードカバーで外で読むのはきついけど、ページを繰る手が止められず、往復の電車2日間で読了。
2,200円(税別)はちょっと高いけど読む価値は十分あります。仮面ライダー、特に昭和ライダーが好きな人にはお勧めです。