青春の幻影を追いかけてはや45年ってことか…。
漫画を読んで、TVアニメ化され、そして映画化。
映画はマンガもTVも中盤、終わる気配もなく続いている時に、ラストまで描くという大胆さ。
鉄郎は5歳年齢が上がりイケメンに(でも所々に幼い頃の面影が出てくるw)。
メーテルは、TV版よりも安定の作画でどのシーンも美しい。
映画は2時間9分ですので、1話30分×113話で描くTVシリーズとはテーマも異なる。
TVシリーズが各駅停車とすれば、映画版は新幹線。
自分史の中でも外せない「銀河鉄道999」ですが、当初から疑問に思っていたのは、「自分の目の前で愛する母を殺した機械伯爵に復讐する為に機械人間になる」という矛盾に鉄郎が何の疑問も持っていない事。TV版では、当初から機械化人の愚かさと生命の大切さを訴えているのに、鉄郎は機械人間になりたいと言い続ける。いや、原作、TV版は10歳だからまぁ仕方ないとして、映画版は15歳、そろそろ矛盾に気が付いてもいい頃だと思うけど、時間城で機械伯爵を倒すという本懐を遂げた後、初めて機械の身体をただでくれる星、機械化世界を壊すという目的にコペルニクス的転回をする。いや、最初から機械人間憎しだよね…(^^;)。
という大きな矛盾点もありつつも、まだ松本ワールドが別々の作品で、それが一堂に会するという映画版はそれだけで胸アツで、銀河を駆ける2大海賊が、鉄郎の危機に必ず助勢してくれるというのは、当時無力だった中学生の自分にとっては羨ましいお話しでした。
惑星へビーメルダー、トチローの死とアルカディア号大コンピューターへの転送と時間城での機械伯爵との闘い、時間城の崩壊あたりから怒涛の展開。鉄郎も精神的に成長しますが、この理由は、機械伯爵との対決後、リューズが時間を進めた結果、鉄郎もその影響を受けて心身ともに大人になった(若桜木虔のコバルト文庫小説版に描写あり)。ちょっとお姉さんのメーテルに守られる側から守る側への転換がされるのも時間城以降からというのも面白い。
TV版もメーテルと鉄郎のキスがありましたが、映画版の方が少年から大人へ、まさに「さらば少年の日よ」という最後のナレーションが効きます。
999を、メーテルを追いかける鉄郎。やがて距離が離れていく。
立ち止まり泣きながら999を見送る鉄郎。
「今 万感の思いを込めて 汽笛が鳴る
今 万感の思いを込めて 汽車が行く
ひとつの旅は終わり また新しい旅立ちがはじまる
さらばメーテル
さらば銀河鉄道999
さらば 少年の日よ」
ゴダイゴの名曲「GALAXY EXPRESS999」が流れる中、涙を拭いて振り返り鉄路を走る。
うちの近くのシネコンは、1日1回上映。
観客は恐らく45年前にスクリーンで観た人が、6,7割。TVやビデオで観た人が2割、親に(無理やり)連れてこられた人が1割、10代、20代の若い人同士というのは殆どいませんでしたね(^^;)。
それでもほぼ満席、割引なし特別料金1,600円ということは、興行的には十分成功でしょう。
うちの近くのシネコンは午前10時の映画祭に参加していないから、自社企画で旧作をかけてくれるとよいんじゃないでしょうか。
2週間限定なので観たことない人、もう一度スクリーンで観たい人お早めに。
(予告編)
www.youtube.com