私は、最近に限らず過去のblogでも「オリンピックはあまり好きではない」ということを書いています。
とはいえ、私も大人なので会社でも盛り上がっているオリンピックに水を差すようなことは言いません。あえて話題に触れなかったり、せいぜいニュースになっている”一般常識”的な会話しかしません。
昔はオリンピック結構好きでした。なんといっても4年に1回の世界のアスリートが集まって様々な競技を行うなんてやっぱり祭典の名にふさわしいと思いますし、オリンピック競技をしている人に人にとってはオリンピックに出る事、好成績を残すことは競技者として目指す峰に違いありません。
ただ見ているだけの癖に外野である自分たちが一喜一憂するだけでなく、その過剰な期待がアスリートを苦しめているのであれば、「頑張ってね」位のスタンスで観戦するのが正しい姿ではないかと思う様になりました。
1996年アトランタオリンピックで期待に添えなかった千葉すず選手が、マスコミがメダル、メダルということに対し、「そんなにメダルというなら自分でやればいいじゃないか」的な発言をして物議を読んだことがありました。
今から30年も前ですけど、いまだにマスコミでは、日本のメダル数や色についてまず話をするし、新聞では目立つように金銀銅メダルの絵柄に何個みたいな表現をしている。
オリンピックだけではありません。野球にしてもサッカー、ラグビーなどの国際大会でも勝つことがすべて的な報道をします。
いやいやそもそも世界大会に出るだけでもすごいでしょ、という観点が試合が始まると抜けてしまいます。
かつて、1964年の東京五輪のマラソンで金メダルを期待されていた円谷幸吉選手は、、後ろに迫っていたベイジル・ヒートリー (イギリス)にトラックの残り200mで追い抜かれ銀メダルをも逃してしまった。とはいえ、自己ベストの2時間16分22.8秒で銅メダルを獲得。これは東京五輪で日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルで、国立競技場で日の丸が掲揚されたのは、メダルを獲得した日本選手では円谷のみだった。
本来なら、褒めてしかるべき、よくやったと称賛されてしかるべきなのに、期待に応えられなかったことがプレッシャーとなり、次のメキシコ五輪前に自殺をしてしまった(自殺の原因はそれだけではないという説あり)。
期待はするけどし過ぎない。
出場した選手はすべからく称える。
この程度のスタンスで観ている側は良いのではないかと思うのです。
期待し過ぎないから思わぬ感動を貰える事がある。それはメダルの色じゃなくてアスリートの生き方に感動するのです。
残り少なくなったミラノ・コルティナ五輪もそんな感じでユルっと見ていればいいかな。


