日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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気仙沼被災地ボランティア顛末記

 朝7時、気仙沼ボランティアセンター着。その後ボランティア先にマイクロバスに分乗し向かいました。行き先は、津波の突端、家はなんとか被害を免れたものの、下の田んぼに流された家の屋根がそのままになっており、その撤去が今回の作業。

これ人が映っていないんで、写真で観るとちっちゃいようですけど、なんつっても家一軒分。しかも昔ながらの立派な屋根ですから、高さ1.5M×横幅6M×奥行き3Mはある結構りっぱな屋根。
こんな感じで、残っていました。何しろ場所は田んぼ。ぬかるみの中をまず屋根付近に散らばる家の残骸を道路(写真の右側100M位先)まで、人海戦術で運びます。最初は一人々々が、少しつつ運んでいたのですが埒が明かず、バケツリレー方式で一列に並び小さいものだけを運びました。
 散らばっているものには、思い出の写真、卒業文集(昭和59年とあった)や、ファミコンゼビウスとかスペースインベーダーファミスタ…)、スーファミクロノトリガーとか)PSのソフトが散乱。そーいえば本体はなかったな…。ここら辺に目が行ってしまうのはデフォってことで。銀色夏生の詩集、森瑤子の文庫本、ノルウェイの森上下巻の単行本…。どうやら、男女の兄弟がいた様子、なんてプロファイリングもしてみたりして。
 重かったのは、布団、絨毯、畳。水吸って重いの何の、畳は男6人でも休み休みじゃないと運べませんでしたわ。
 で、屋根の方は、あとから調達してきた、のこぎりとバールで分解。チェーンソーでもあれば楽なんですが、すべて人力&素人、結構時間が掛かりました。屋根は、瓦が載っていたしっかりとした作りの屋根。家は津波で壊されたけど、屋根はそのまま流れてきたくらいですからそれはもう頑丈な作り。男性6〜8人で分解作業を行っていましたが、それでも、なかなか崩れません。しかも、梁が太く重い。これも、数人がかりで、やっと運びました。
 東北地方、今年初の猛暑日、関東地方の梅雨明けが宣言され、いやまあ暑かった。最初は安全のために長袖長ズボン、長靴ゴム手袋、ゴーグル、マスク帽子と完全防備でしたが、後半は、半袖ゴーグル、マスクなしでやっちゃったおかげで、すごい日焼け。痛い。
 最初は1時間に10分休憩でしたが、この陽気で、30分に10分、最後は15分に15分休憩でやるのがやっとでした。
 作業は2時半に終え、作業場を3時には後に。その時の様子はこんな感じ。 

完全に撤去とは行きませんでしたが、あとは次のボランティア部隊に引き継ぎです。
4時過ぎに気仙沼ボランティアセンターを出発、新宿着が11時40分。終電ぎりぎり滑り込みセーフで、ただいま帰宅しました。

海岸線近くの一番被害の大きかったところにはいきませんでしたので、よくTVでみる爆心地のような風景を見ることは有りませんでしたが、津波被害のあった地域は、自分の力だけではどうしようもない状態であることを肌で感じました。
 今回、私たちのボランティアチームは、2班に分かれ、もうひとつのチームは、津波被災後約4ヶ月近く経過してもいっさい手をつけられていない民家の片付けだったそうです。高齢者の多い土地柄、ボランティアの支援の手はまだまだ足りないようです。今回の参加者のうち半数は女性でした。みんな日々の生活は忙しいと思うし、こっちでやらないといけないことはあると思うんですけど、また元気な東北に戻ってもらう為には、お金の支援だけでなく、人的支援も重要だと感じましたわ。
 

 田んぼのあぜに、一輪の花が咲いていました。この田んぼのがれきが全部撤去されても、塩害ですぐには再開できないかもしれないけれど、青々とした田んぼが復活し、黄金色の稲穂の波が見れるようになることを願っています。


作業中は写真を撮るどころではなく、その他のエリアでも基本的に被災者の方がナーバスになっているので写真撮影はできる限りしないよう指示がありましたのでこんな写真ですいません。

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