5年間自分の上司だった人の送別会。前半2年は課長、後半3年は部長でした。今年、うちの課での転出はこの人だけ。全部で10名程度の小さい課なので、送別会もこじんまりと。
それにしても、こうして上司を見送るのは何回目だろう。同じ課に11年もいると、どう考えても送別する側であることが多い。赤字だ。
2次会はお決まりのカラオケに。カラオケは好きなんですけど、会社のカラオケは正直好きじゃありません。いまどき珍しい煙草を吸う人の多い課なので、狭い室内は煙草の煙で霞みが掛かる。歌いたい曲じゃなくて、周りの雰囲気を見、流れを見ながらの選曲。とにかく盛り上がる曲がメイン。同じカラオケでも、これではストレスはたまる一方。これではカラオケ嫌いが増えるのも判ります。
基本的に、歌を唄うという行為は、人間が生きていく上で必要不可欠なものだと思うんですよね。作詞作曲者のいる新民謡ではなく古くから歌い継がれている民謡は、自然発生的に創られ歌い継がれてきたもの。ある歌は労働のリズムとして、ある歌は神に祈る祭りの歌だったり、生活と歌は密接に結びついている。うれしいといっては唄い、哀しいといっては唄い、唄う事で色々なものから解放される。
ところが、最近は唄う事が嫌いという人が決して少なくない。恐らくそれは、こういう劣悪な環境で無理やり唄う事を強制されたりするからなんだろうと思う。とても残念です。