本当に生きていけない程辛いことは、思い出せないような仕組みに脳はなっている、という説があります。眼の前で肉親が流され自分は何もできなかったと思い悩む日々をいまだに背負って生きている人がたくさんいる。そういう人がいることを知りつつ、日々平穏な生活が出来ている有難みを感じながら、あの日以降暮らしています。
あの日。2011年3月11日。まだ2年と考えるか、もう2年も前と考えるかは人それぞれです。ですが私は少なくとも全てを他人事として生きることはできません。知人が被災したわけでも、東北に親戚がいるわけでもありません。ただ同じ日本に住んでいて、苦しんでいる人がいることのいたたまれないだけ。
あの日。新宿から徒歩で帰宅したのも、何となく「この日を憶えておく為」という想いがあったことは、今まで誰にも話したことはありません。この体験を身体に刻む事をなんとなく大切だとその時思ったのです。
なにも被災地の為に直接何かをすることが全てということでもないと思います。勿論出来ることはすべきだと思うけど。でも直接被災していない私たちだからこそ、まずは忘れてはいけないと思います。2万人近いの犠牲者(死者15,882人、行方不明者2,668人、2013年3月11日現在)の無念を無駄にしない為にも、この震災を教訓にその後の生活を営むことが大切なんだと思います。
全ての被災者に黙祷。