武道って、なんか喧嘩とかに役に立つイメージがありますよね。柔道、剣道、合気道、空手道。一撃必殺というか、そういうのやってる人って、なんかちょっと強いというか、怖いイメージ。ところが弓道って、その技術そのものは喧嘩とは程遠い。相手が向かってきた時に瞬時に判断して、攻撃を繰り出し倒す。良く考えれば、この手の武道ってみんな裸足ですけど、弓道は足袋を履くのが正装。なんか、茶道とか華道に近いイメージです。
弓道には「射法八節(しゃほうはっせつ)」というのがあって、弓を射る動作をいいますが、構えて弓を射るまでおおよそ30秒、弓を射てから弓倒し、残心(身)といって、心を落ち好かせる動作があり、これが10秒、合計40秒。大体、やっつけられちゃいますね。
勿論中れば必殺ですから、相手に気付かれずしかも相手が動いていない状態であれば、もしかしたら使える武器かもしれません。しかし、28m離れた36cmの的ですら、手元数ミリの違いで外れてしまう事を考えるとその技術をいつでも出せるというのは、かなりのテクニックを擁します。高段者になると、中るのが当然、外すのは年に数回なんて人もいるようですが、指先だけでなく、身体、腰、肩、肘の位置が常に同じように入らないといけないというのはなかなか大変。しかもそういうのって、ちょっとした心の乱れから、いつもと同じようにセッティングできない事が多く、更にそれを直そうと1箇所治そうとすると他の箇所がおかしくなり、最終的に何が何だか分からなくなる。
かように精神の乱れが即射技に影響が出る弓は、当然武具としては役に立たず、戦場での兵器としての役割としては廃れていきますが、江戸時代は、精神修養のひとつとして武士の嗜みとして生き残っていきます。それが、現代まで繋がっている。つまり、弓道は武術の中でも精神的側面を重要視する武道となったというわけなんでしょう。
試合では、的中数を争いますが、あくまでも"試合"という場であっても日頃の稽古と同様の精神状態で臨むことができる事=的中を出すという事を求められるから。
稽古でも中らないのに試合でだけ中るという事もあるわけなく、結局日頃の稽古をしっかりやらないといけないんですよね。
技術云々をいう前に、精神的に何があっても動じないこころをもっと鍛えないといけないってこと。
ううむ、奥が深い。もっと稽古しないとね。