今日の練習。33中/56射 的中率約60%。
今月一番高い的中率でした。
弓道の動画って、試合の決勝戦とかばかりなので、結構簡単に中るように思われますが、実際はなかなか中りません。
射た数の半分中る(羽分け/はわけ)ができれば、そこそこ上手いね、と言われるくらい。まずはこの羽分けを目指すのがハードルになってきます。
社会人と学生を比べても、やっぱり毎日たくさんの矢数練習ができ、3年間、4年間で結果を出さないといけない学生さん、しかも試合では的中することがすべてだったりするので、学生さんの的中率は群を抜いて高いです。
アーチェリー(洋弓)はいかに”中央”近くにあてるかを競いますが、和弓の場合、的に中てるか中てないかで競います。ここを混同されている事も誤解を招く一因と思います。
さて、わたくしの場合、10年以上やっていながら最近やっと平均的に羽分けできるようになってきました。中てる事は結果であって、その過程を大切にする社会人弓道は、中てる事に執心することは邪道と言われることが多いです。曰く「あの人は中るけど射形が汚いよね」「中てる事よりもまずは射法八節をしっかり身に付けなさい。そうすれば矢は必ず的に中る」。
確かにそれは一理あり、否定はしません。「正射必中」(正しく射れば必ず中る)という言葉もあります。でもこの”正射”というのを完全にマスターするのは一生かかります。
私としては、中ることに拘ることは、正射に拘るのと同義だと考えています。社会人も試合になれば中ることが重要で、射形、体配は、昇段審査や全日本選手権で初めて評価の対象になります。いかに射形が綺麗でも試合では入賞することは絶対ないし、審査も参段以上は中てないで昇段することはまずありません。
的に中てる競技である以上、どうやったら中るかという技術論をおざなりにしてはいけないと思います。中てる行為に対してのアプローチの方法が異なるということ。
この1年、コロナの影響で競技も審査もなかった為、そういった”外野”に惑わされず的中を目指す事を中心に稽古をすることにしていました。どうやったら中るかを考えるようになると中りは増えますが、それだけでは安定した的中を生みません。的中の安定を生むのに必要な事が、正射を身に付けることだと思います。
来年度は、密を回避しながら試合や審査が再開しそうです。
この1年の稽古の成果がどう出るか、楽しみです。