川崎の少年殺人事件の全貌が徐々に明らかになって、子を持つ身としてはいたたまれないことこの上ない。
少年法で守られるのは、あくまでも犯罪を犯してしまった少年には更生の機会があるからで、はたしてこういう犯罪者が本当に構成するのか正直疑問。かつて女子高生をさらい、散々弄んで殺しコンクリート詰めにして放置した奴らがいましたが、結局出所後又犯罪に手を染めていたりして、全然更生していなかったっりする。
情状酌量とか、被害者の親族、友人にとっては許しがたいことで、仮に更生出来るにしても自分の大切な人を殺された人にとっては許しがたい事に違いない。であれば、他人に危害を加えた者の死は、その原因が何であれすくなくとも被害者の気持ちは救われるんじゃないかと思う。
つまり殺した人間は自分も同じ様な殺され方をする。絞首刑とか電気ショックとか、安楽死のような一般的な死刑ではなく、殺されたヒトと同じ苦しみを味わってもらう為、同じ殺され方で。
では、複数殺した場合はどうするか。
その場合、犯人が大切にしている人を殺します。最愛の彼氏、彼女、奥さん、子供。もしそういう人がいなければ、一親等から順にくじ引きで殺されます。殺される方はたまったもんではありませんが、一族に犯罪者を生んでしまった血の不幸を呪うえばいい。理不尽かもしれないけど、突然人生を奪われた方はそれ以上にたまったもんではない。
法治国家では、暴力は全て国家に委託されていて、個人的な暴力は全て犯罪となる。であれば、個人的に履行した暴力の責任は本人、一族に取ってもらわないと行けない。
飛行機事故や公共交通機関での事故の場合、大量に死者が出ますが、その責任は原則経営者が担う。経営者およびその一族が死刑。事故を起こした本人も勿論死刑。
紀元前に発布されたハンムラビ法典の「眼には眼を歯には歯を」は、ある意味現代にこそ必要な法だと思う。
人を殺した者には死を。人の痛みが分からない人間は人でない。