生きていれば、88歳。米寿か。。
私、父親が36歳の時の子供で、今ならばこれくらいで結婚する人もいるから、別に珍しくもないけど、小さい頃は歳取ってるなぁと思ったもの。母親は、昭和13年生まれだから、9歳差。これも今なら別に驚くほどの年の差じゃない。
父親が再婚だと知ったのは、父親が亡くなったその日のこと。母親は勿論、姉貴も知っていたらしい。
父親は、私が物心つく頃から趣味は盆栽だった。自転車に乗りたての頃、まだ足元おぼつかず、庭でコケて盆栽の枝を折って、すげえ怒られたのが今でもトラウマ。晩年は好々爺になっていましたが、若い頃は本当に気性の激しい、怒ったら誰も手の付けられない父親でした。
私が生まれたばかりの頃、京都に出張に行ってそこで事故にあった。勿論私は憶えていない。
当時某エレベータ会社の設置の仕事をしていました。昭和40年。前年東京オリンピックがあり、東京での仕事はひと段落、次に控える大阪万博に向けて、関西方面はビル新築のラッシュだったと思う。なので、東京からわざわさ関西方面に仕事に行った。そこでの事故。
設置していたエレベータの確認をしていた時に、カーゴが落下、下にいた父親は、腰の骨を砕き、内臓破裂で重体。当時36歳。母親と結婚して2年目。母親は27歳だった。2歳半の姉と生後半年の私がいた母親は大変だったに違いありません。
姉貴は、母親の実家に預けられ、私は母親に連れられて当時まだできたばかりの新幹線で京都まで往復していたとのこと。約1年の入院で無事退院できたのは奇跡でした。悪運強いとゆーか。
死線をさまよった父親の胸中について、生前あまり聞いたことがなく、先日亡くなった母親にもあまり聞く機会なく、両親ともっといっぱい話をしておけばよかったと反省しています。もう遅いけど。
そんな事故に合いつつも84歳まで生きた父親。やっぱ戦前生まれは丈夫でした。