日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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これもまた愛の形


内田裕也が妻・樹木希林さんへ追悼コメント発表「啓子 今までありがとう。見事な女性でした」

15日に死去した女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子)さん(享年75)の夫でミュージシャンの内田裕也(78)が20日、所属事務所を通じてコメントを発表した。■「最期は穏やかで綺麗な顔でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」 樹木さんとは1973年10月に結婚したが、同居したのは最初の約1年半だけ。その後は別居状態を続けながら、つかず離れずの独特な夫婦関係を築いてきた。(後略)(スポーツ報知・9/20(木) 16:42配信)


 樹木希林さん。穏やかでありながら激しさを感じる個性的な女優さんでした。全身の癌転移を公表したのは2013年3月のことでした。以来、闘病生活を続けていたと思うのですが、その間も精力的に映画に出演されていました。
 ロックでファンキーなご主人、内田裕也は2回目の旦那。最初の結婚相手は、「血を吸う眼」や「傷だらけの天使」の辰巳などの名優、岸田森とは初めて知りました。
 私が記憶にあるのはなんといっても 「寺内貫太郎一家」のおばあちゃん沢田研二のポスターで身をよじりながら「ジュリ〜〜〜(>_<)。」という姿。いまだに目に焼き付いています。その時はまだ旧芸名「悠木 千帆」でした。芸名をオークションで売る番組も不思議な思いで見た記憶があります。そして後番組「ムー」樹木希林として出演。テロップで「悠木 千帆改メ」とあったのもまた不思議な感じでした。

 内田裕也とは、1年半の同居生活の後死ぬまで別居。1981年に内田裕也が無断で離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こし勝訴。一時は絶縁に近い状態のようでしたがその後は一緒にCMに出たりなんとも不思議な夫婦でした。

 内田裕也の最後の言葉は、妻に対しての最高の賛辞です。好きだからこそ自由にする。それでも手綱は握っている。そんな感じ。一緒にいるから愛し合っているとは限らない。これもまたひとつの愛の形。他人がとやかく言う事ではないということですね。

 樹木さん。楽しいドラマ、映画をありがとうございました。同じ時代に生きることができてよかったです。

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