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無作為の作為−国体強化練習会 第3回目


 国体強化練習会 第3回目参加してきました。
 今回は午前中近的、午後遠的というカリキュラム。この冬一番の冷え込みとの予報通り、弓道場は死ぬほど寒かった…。
 寒さのせいもあり、身体がこわばりいい射が出なかった(というのは言い訳なんですけど)。

 この練習会、国体強化というのでさぞすごい練習をしているかのように思われる方もいるかと思いますが、指摘されるのは私に限らず基本的な事が多いです。例えば、背筋を伸ばす、矢筋に離す、開き足の角度、残心(身)の形、歩き方座り方…。全て弓道教本の第1巻に載っている事柄ばかりです。基本を大切にすることが一番だということを思い知らされます。
 私が今回指摘されたのは、とにかく"力を抜く"こと。
 
 「不作為の作為」とは、法律的な用語ですが、私としてはこの言葉が弓道にピッタリだと思いました。
 結果を出す為に"「何もしない」という事をする"
 例えば、相手を殺したいと思った時、直接手を下すのは作為的殺人ですが、今にも息絶えそうな相手にまさに死が迫っているのが判っていながらあえて何もしない。これが無作為の殺人ということになります。


 「力が入り過ぎ」「力を抜いて」「ガチガチ」これまでの講習会でも何度も々々言われ続けていましたので、結局同じことを指摘されたにすぎませんが、なんとなくストンと腹に落ちました。

 弓道って道具もシンプルですが、極論を言えば「矢を飛ばして的に中てる」だけ。矢にも弓にも的に中てるという意思は当然ありません。射手は矢をまっすぐに飛ばすという意思は必要かもしれませんが、的に中てる(中る)というのはあくまでも結果。
 更に、矢を飛ばすために一番必要な事は、弓の力を100%矢に乗せるということ。そこには「矢を的に中てよう」とかいう気持ちは邪念でしかなく、弦を引く際に必要なのは、弦の引く強さと等分の力のみで押さえる力のみ。

 つまり弓を引くために必要なのは、余計な事をせずに弓の力を矢にのせる事だけ。その為の小細工は一切不要ということになります。

 弓道は邪念との闘いです。無理なく構え、無理なく射行し離す。ただそれだけでよいのだということ。中らないのは邪念があるから。

 次回の練習会は1月。"何もしない""無理しない""意識しない"を念頭に練習を続けようと思います。


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