この歳になれば、話し合いですべてが解決すると思うほどお花畑ではありませんが、世の中のほとんどの争い事は、「想像力の欠如による会話の少なさ」ではないかと思います。
自分がされて嫌な事をすれば、だいだいの場合相手も嫌な気分になります。だったらまず、自分がされたら嫌だなと想像できる事はしない、というのが大前提。
例えば、
約束を守らない。
時間を守らない。
声を荒げる、殴る、蹴る。
意地悪な事を言う。
嘘を言う頻度が高い。
人の物を勝手に盗る、などなど。
これらは、大体の人は許してあげたとしても「良いこと」だとは思わない。
もうひとつ、”意思の疎通”が大切で、その手段として、人間は態度(ボディランゲ―ジ)だけでなく「言葉」を用いて、意思の疎通ができる。
しかし、この「言葉」が曲者で、場合によっては争いの種になる。
これは、自分の思考を正しく言葉に出来ないことがまず原因。だから本を読んだりして自分の語彙力を向上させるのは大切なことだと思います。
「こころ」という目に見えないものを言語化するのは、実は難しい。
前提として、扱える語彙数が必要ですが、如何に自分が語彙を知っていても、相手が知らなければ伝わりません。そこで必要になってくるのは「言い換え」。
但し、自分のフィールドでの言い換えでは、相手に伝わらず、相手の生活領域に落とし込んだ言い換えが必要です。
例えば、私に野球やゴルフに例えられても,、一般的な状況ならある程度分かりますが、込み入ったシチュエーションに置き換えられても腹落ちせず、なんなら例えてもらわない方が分かる場合もあります。
一方で、私のやっている弓道に例えられても、自分と同程度の弓引きなら「わかるわかる」となりますが、その経験値により、いくら例えても理解してもらえないこともあります。まして弓をやらない人なら言わずもがな。
なのに自分のフィールドで例え話をして悦に入っている人、結構います。わかんないっつーの。
つまり、言葉での意思の疎通をするにしても、相手の環境を知る、想像し、相手により分かりやすい言葉を選ぶことが必要になります。
ただ前提として、同じテーブルに着く際にお互いがこのスタンスで臨まないと、そもそも相手の言っていることが理解できない、理解しようとしていないのだから落としどころが見つかりません。お互いに自分の意見だけを相手にぶつけて交渉は決裂、争いになります。
争いまではいかなくても、相手に対しての好印象、悪印象、「私あの人ちょっと苦手」「私あの人といると落ち着く」とかは、こうしたほんのささいな交流が原因となるんじゃないかと思います。
争い事はできる限り避けたい。でもあまりにも傍若無人に振る舞う人は本当に困ります。そういう困った人には最初は正すように言いますが、往々にして直らないので、そういう場合は、社交辞令的対応のみをして近寄らないようにしてます。
距離感って大切です。