日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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「田宮二郎、壮絶!」

田宮二郎、壮絶!―いざ帰りなん、映画黄金の刻へ
升本 喜年著・清流出版

もともと2012年に買って積読していた本。
ハードカバー400頁を越える大作で、読み終えるのに2週間かかった…。

昔、田宮二郎という俳優がいました。亡くなったのは1978年ですから、今から45年も前になります。知っているのは、私たち世代まででしょう。
享年四十三。自死でした。

身長180cm、端正なルックス。大学在学中の1955年(昭和30年)、スポーツニッポン社主催の「ミスター・ニッポンコンテスト」で優勝したことがきっかけで、大映演技研究所10期生として入社。
以降大映の専属俳優として多くの映画に出演する。
大映時代で有名なのは勝新太郎とコンビの「悪名シリーズ」(1961年 - 1968年)、企業ものの「黒シリーズ」(1962年-1964年)ですが、当然この頃の活躍は後年知ったもので、リアルタイムでは、「クイズタイムショック」の司会(初代)や、TVドラマでした。
特に山田太一脚本のTBS「高原へいらっしゃい」(1976年)はすごく好きでした。そして、田宮二郎といえばフジテレビ「白い巨塔」(1978年 - 1979年)の財前教授の鬼気迫る演技。2003年リメイクの唐沢版もよかったけど、田宮版は、その放映中、残り2話を残した時点で、田宮二郎自死したことも相まって、それまで10%台だった視聴率が最終回は31.4%の高視聴率でした。
亡くなる前は重い躁鬱病だったらしく、合わせて田宮二郎の名前に群がる詐欺師に食い物にされていたことも命を縮めることになったようです。
本当にかっこよくて、もし生きてたら50代、60代、70代をどう演じたかと思うと残念でなりません。

この本の著者、升本 喜年さんは、1954年、今は無き松竹大船撮影所のプロデューサー。映画製作を通じて田宮二郎との親交があった方で、日本映画界が斜陽化していく時期を田宮二郎とともに過ごしてきた人。そんな人ならではの田宮二郎の人となりに踏み込んだ評伝になっています。



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