「ゴジラ-1.0」2回目行ってきました。
「シンゴジラ」は、1回目は圧倒され、2回目はセリフを追いかけ、3回目以降は全体の流れを確認してやっと把握ができました。
今回の「ゴジラ-1.0」はそんなに難しい映画じゃありませんので1回で十分楽しめます。
ただ自分の中での観方の答え合わせ的な気持ちがあったのと、ゴジラの動く姿がよくできていたってのもあり、2回目突入しました。
あらすじ(できる限りネタバレしません)
特攻隊員の敷島(神木隆之介)の乗るゼロ戦が守備隊のいる大戸島に着陸するところから物語は始まります。
守備隊といっても整備兵のみが駐屯している小規模な避難所みたいなところ。
敷島はゼロ戦の不調ということでしたが、整備確認したところ特に不具合は見当たらない。敷島が特攻から逃げたことは整備兵の知るところとなるが、整備兵長の橘(青木崇高)は、戦争は終局であり、今更命を無駄にする必要はない、と、あえてそれを責めない。
その夜、巨大な生き物が守備隊基地を襲う。橘は敷島に対してゼロ戦の機銃で巨大生物を退治してくれと促すが、敷島はコクピットまでたどり着くも恐怖で引き金を引くことができなかった。恐怖で竦んでいる間に整備兵たちは蹂躙されていきほぼ全滅する。
かろうじて生き残った橘と敷島は復員船に乗り東京に戻ってくる…。
敷島は生家に戻るが、家は焼け崩れており父母もいない。隣家のおばさん(澄子/安藤サクラ)は、おめおめと帰ってきた敷島をなじる。
この物語は、ゴジラ映画ではありますが、メインは敗残兵の敷島の再生の物語です。
復員して2年後の1947年、敗戦で0(ゼロ)になったが徐々に復興し始めている東京に追い打ちをかけるようにゴジラがやってきて更に街を破壊していく(-1.0)。
正体不明の巨大生物を天災と同様に描いて、国家の総力で戦うのが「シン・ゴジラ」だった。
これはこれで怪獣映画の一つの極です。
しかしながら、「シン・ゴジラ」が完全にオミットした市井の人々にフォーカスしたのが今回の「--1.0」これはこれでまず好みの分かれるところです。
ただ感情移入しやすいのはキャラクターの心の動きが分かりやすい「ー-1.0」の方。
人は生きていれば辛い事がたくさんあって、逃げ出したいと思うことはみんな経験しています。
まさに今、自分はこころが病んでしまい、まともな生活が送れない状況になっています。
何か月も休み、迷惑をかけ続けている現状。自分の存在意義を毎日のように問い続け、悶々とする日々。
復員してきた敷島と同じ状況が続いており、死の影に付きまとわれています。
でも敷島も生きて帰ってきたからこそ、ゴジラに対し一矢報いる民間の攻撃隊に参加することになる。
復員してきて知り合った戦災孤児の典子(浜辺美波)と戦災にあって親を亡くした乳児の明子の2人を守るというのも敷島にとっての生きるモチベーションになっている。
生きて、抗え。
戦後帝国軍は解体され、警察予備隊もできていない。この時の日本は”戦う”手段を持っていなかった。
そうなんです。
「生きて、戦え。」ではなく「生を守るために抗え」なんです。
戦うことはできないかもしれないけど、抗うくらいはできる。
これは対抗手段というよりも心の問題です。
力を合わせてこころで立ち向かっていく戦後の日本人たち。
心が弱っている今の自分に足りないものを補完し鼓舞する映画です。
改めて自分に…「生きて、抗え。」
(予告編)
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(特報:対ゴジラ篇)
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(特報:生きて抗え篇)
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