「武士の家計簿」は本当に興味をそそるタイトルです。ある日、著書が古文書「金沢藩士猪山家文書」という膨大な記録を古書店で見つけるところから始まります。これは天保13年から明治12年の、幕末から明治まで37年間の詳細な記録で、御算用者として加賀藩に仕える猪山家3代が記したもので、小銭の出納まで事細かに書かれているもの。
加賀百万石っていうように、江戸時代の資産の単位で、"石(こく)"ってあって、それは、お米の単位だという事までは日本史で勉強した。武士はすべからく、このお米の単位で藩からお給料をもらって働いていたんだけど、たとえば、年棒で100石もらってもそんなにお米食べられないし、お給料日に大八車でお米を運ぶっつっても、100石もあったらそう簡単に運べないよなぁ、と思ってたんです。そしたら、ありました。やっぱ、お米は食べる分だけで、それ以外は換金した上で与えられるということでした。米一石に対して0.9両。小判(金)1枚は1.11石に当たります。同様に1匁(もんめ)は銀で1両=75匁。1両=84匁=6300銭ということらしい。では、1両は現代でいるとどれくらいかというと、米価でいうと55,000円くらいですが、現代の貨幣感覚でいうと30万円位になるとのこと。
で、この猪山家。借金が膨らんで、もうにっちもさっちもいかなくなり、ある日とうとう家にある金目の物をすべて売り払ってあらかたの借金を返します。それでも借金は残ったのですが、主人自ら借り手に交渉し無利子分割払いに契約変更する事が出来た。幕末の武士は体面を保つためたくさんの出費が強いられていた。猪山家もそうだったんですね。
そして明治期に入り、猪山家はその算術の才能を生かして新政府に徴用されましたが、大多数の武士は完全に失業します。明治6年、新政府は武士に家碌奉還を布告。内容は、家碌奉還に応じれば、6年分の家碌(給料)を受け取れる。ただし以降の家碌は打ち切り。また士族の族籍は維持される、という、まさに武士のリストラです。
"武士は食わねど高楊枝"とか、幕末から明治にかけて武士は大変だったんだなぁ。だから、特に虐げられていた外様大名が蜂起、維新が始まったわけで、この頃の話が好きな方は、是非読まれると更に奥深く幕末を楽しむ事が出来るようになると思います。
お勧め。

- 作者: 磯田道史
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