日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

死ぬこと生きること


 家庭があり、下の子はまだ未成年の私が言うのもなんですが、あまり"生"に執着はありません。やりたいことはまだまだあるし、おそらく定年退職しても人生を有意義に過ごす自信もありますが、あんまし長生きしたいという気持ちはありません。

 ここのところ幼馴染の弟(46歳ですよ…)が亡くなったり、実父が亡くなったり、今日も友達の父親が亡くなったりと死について考える機会が多いです。そういう身近な人の死に接し、確かに残された人は色々と大変だというのは判っても、自分がもし死ぬということになった時、それを回避しようとか、少しでも生き続けようという気がなかなか起きない。
 自分が突然死んだら、会社関係とか迷惑をかけちゃう人は確かにいるけど、そんなに悲しむ人はいないんじゃないかなと思う。喪失感とかは多少感じるかもしれないけど、人の死なんて、それほど尾を引くものではないと思います。まして自分なんて、他人の人生に深く影響を与えた、なんてことはない市井の一個人。いてもいなくても正直あんまし意味があるとは思えない。

 死んで困るのは一瞬。その一瞬をどうやって回避するかの策さえ残しておけば後は全て時間が解決すると、そう思います。


 死生観というほどではありませんが、死を通して生きることの意味を考える事は大切だと思います。ある意味、私の考え方は死生観に尽きます。即ち「如何にしてよりよく生きるか」。
 「あの人いい人だったのに」とか「惜しい人を失くした」という自分が死んでから掛けられるそういう言葉を目指しています。人の価値って、生きているうちは確定せず死んでからその人の重要性や立脚点が確立されるんじゃないかと。勿論そのポジションは、受け止める人それぞれ違うものだと思いますが、平均以上の評価を貰える人生、それを貰えるように日々生活をする事が大切なんじゃないかと思うのです。


 今すぐ死にたいとかそういうことではありません。いつか迎える死を、決して迷わないように1日々々を精一杯悔いなく生きる。他人に迷惑をかけることなく、出来れば他人の為に何か役に立つことを少しでもして、それを喜びと感じることができるような、かと言って、自分が嫌な事をするわけでもなく、他人がやりたがらない事でも楽しんで出来るような、そういうのっていいなって思います。

 今日は4回目の年男最後の日。父親はちょうど7周目の84歳で亡くなりました。そんな感じで4周目終了です。