昨日京浜急行荏原駅で中2の少女2人が電車に飛び込み自殺。別の事件ですが、2月に高校1年生の長女が母親を殺した事件は、スマホへの機種変を母親が許してくれなかったからだとか…。
自分の命を絶つという行為と他人の命を絶つという行為は一見違うようだけど、命を軽く扱ってるという意味では、実は同じじゃないかと思うのです。ましてや心中なんて、殺人であり自殺でもある。「死にたい」「いいよ一緒に死のう」で飛び込んだのだろうか。
死ぬことよりも生き続けることの方が絶対に辛いと、常々思っています。「人生は修行の場」by丹波哲郎。だから自殺は「逃げ」だと思う。逃げるやり方なんて生きていてもいくらでもある。そうして生きていれば、いつか挽回するときだって来るかもしれない。自殺してしまったら挽回のチャンスすら自ら絶ってしまうことになる。
他人の命を奪うなんてのもやっぱり「逃げ」。あいつさえいなければ、自分の思いが遂げられる。邪魔だから排除する。でも殺してしまったら捕まって目的を達成する事なんてできないなんてことは当たり前。「もう殺すしかない」って考える前に、そいつの前から自分が消えちゃって新しい生活を始めれば少なくとも邪魔者はいなくなる。
自殺しちゃったり殺しちゃったりする人って、周りが見えなくなってしまって死ぬ、殺す以外の選択肢が見えなくなっちゃってるんでしょう。そういう選択肢に自殺したり、殺したりするっていうことが入っている事がすなわち命を軽んじている何よりの証拠。
あと死んだらリセットされるとか、死んだら全部無になる的な唯物思考は絶対間違ってます。よく聞くのが自殺した人の魂は常に現場にいてずっと自殺し続けるとか、現世での役割を途中で放棄(逃げて)してしまうことで来世にすんなりいけなくなる。人を殺しても地獄で閻魔様が待っていて、天命を全うしても筆舌に尽くしがたい地獄の業火に未来永劫焼かれるとか。
生きとし生けるものはすべて何らかの役割をもって生きている。その命を自分で絶ったり他人の命を奪ったりすることは決してしてはいけない事。いのちに対する教育がおろそかになっているのかもしれません。。