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「葉桜の日」何度目かの再読。

葉桜の日 (新潮文庫)
鷺沢萠著。新潮文庫
(以前の感想→http://d.hatena.ne.jp/hee/20150412
'04年4月11日突然の自死。享年35。彼女の命日は"葉桜忌"と言われています。この時期、できる限りこの物語を読んでいます。この物語を20歳そこそこの女性が書いたというのはやっぱり驚きです。

葉桜の日」には、表題作のほか「果実の舟を川に流して」という作品も入っています。
 2つの物語に共通するのは、主人公の「自分はここにいていいのか」「自分の居場所はどこなんだろう」という迷い。ただ迷いつつもがくというよりも、こういう風にまわりに認められ、必要とされる今の気持ちよさみたいなものが表現されています。
  「葉桜の日」の主人公は都内で3つのレストランを経営する志賀さんに育てられた"ジョージ"、「果実の―」はオカマの優梨花の経営するバー「パパイヤボート」に勤める健次。
「果実の舟を川に流して」にこんな言葉があります。
 『どちらにせよ人生に「もし」「たら」はないし、どっちが良いかなんて言う問題も考えてみたって始まらないことである。そのことをいつも考えていた時期があって、結局たどり着くことのできる結論は「考えてみても始まらない」なのであった。
 だから最近では、健次はなるべくそういうことを考えないようにしている。結論が判り切っているのに考えるのは脳みそに無駄な汗をかかせるのと同じことだ。無駄な汗をかかせるくらいなら、もっと別にやらせることだあるなどと、健次は思うのである。』

 小さい頃志賀さんの養子になって育てられたジョージには賢祐(まさひろ)という名前があるけど、育ての母である志賀さんがあだ名のようにつけたジョージという名前でみんな呼ぶ。"ジョージ"という記号を纏い、周りと溶け込んでいることの居心地の良さ。健次も元は女手一つで育ててくれた母親の期待に応えるのが役目と思い、トップクラスの高校を卒業して一流大学にストレートで入学したものの2年後に母親が急死、学費が払えず除籍になって海外に行き、1年後帰国してパパイヤボートに勤めることになる。もし、母親が生きていて母親の期待通りに大学を卒業し、社会人になって家庭を持っていたら出逢わなかった人たちと毎日過ごしている。

 今いる場所は、自分で切り開いてつかみ取ったっていうのは確かにかっこいいけど、そんな人はほんの一部。みんないろんな挫折や妥協をして暮らしています。「ここは自分のいる場所じゃない」と、もがく生き方よりも、今いる場所の居心地の良さに身を委ねるというのは決して悪い生き方じゃないと思います。人生お金とか名誉とかがすべてじゃない。この歳になって幸せは人それぞれだということを分かってながら、それでも同い年でいっぱい収入がある人や地位の高い人を見ると、今の自分の不甲斐なさを痛感してしまい迷いが生じます。"四十にして迷わず"といいますが、四十をとうに過ぎた自分のようなおっさんが迷ってるのは見苦しい。それは分かっているんですけどねぇ。
 特に毎年今の時期はそういう自己嫌悪に襲われており、そんな時にこの物語に触れて癒されてまた1年なんとか過ごすことができます。

 鷺沢さんが亡くなって14年目の葉桜の日。いまでも鷺沢さんに助けられています。鷺沢さんありがとう。
 
 

葉桜の日 (新潮文庫)

葉桜の日 (新潮文庫)