<新潮45休刊>突然の決断、予想超えた批判
性的少数者(LGBTなど)への差別的な表現について批判を受けていた月刊誌「新潮45」が25日、最新号の発売からわずか1週間、また佐藤隆信社長によるコメント発表から4日で休刊に追い込まれた。回収や続刊号での謝罪などを飛び越えた突然の決断の背景には、同社の予想を超えた批判の広がりがある。■ 出版不況を背景に「右傾化路線」を取る出版物は増加傾向にあり、「新潮45」も反リベラル色を強めてきた。だが、保守系の雑誌だけで経営している出版社と異なり、文芸が中軸の新潮社がマイノリティーを蔑視しているととれる極端な特集を組んだことの波紋は大きかった。経営面への影響も懸念され、同社は迅速な処理をせざるを得なかった。(後略)(9/25(火) 21:42配信 毎日新聞)
素早い決断を良しとするか否か。
確かにLGBT批判に対する擁護特集はやりすぎではあるけど、表立って発言はできなくともそういう風に思っている人は確実にいる。それが今回特集されたことで、LGBT差別に対して理論武装を促すことになるのは決して良い事ではありません。しかもそれを吹けば飛ぶような出版社ならともかく大手出版社が行うのはリスキーだということは編集部でもわかっていたはず。それとも休刊に追い込まれるほどの事とは思っていなかったとしたら、見識の甘さを疑わざるを得ない。機を見るに敏でないといけない雑誌編集者がこのような状況とは、出版業界も落ちぶれたもんです。もっとも、いまだ従軍慰安婦問題で誤報を流し続けた反省の色のない大新聞社もあるので、出版界だけがおかしいわけでもありません。
新聞は報道ですからできる限り私情を交えずに真相に迫り羞恥をさせることが存在意義なわけですから、朝日新聞のやったこと(やっていること)は、新聞としての立ち位置を自ら否定しています。しかしながら雑誌はそうではありません。いろんな意見を載せて戦わせることもこういった言論雑誌であれば大切なこと。それを外圧に屈して即休刊というのはいかがなものかと思う。外圧は暴力と一緒です。デモやシュプレヒコールやいたずら書きをされ、考え方が合わない作家が離脱していく。出版社といっても会社ですから、売上を生み出す作家さんに逃げられたら白旗をあげざるを得ません。しかし一方で、逆意見を次号に載せることもできたのに、休刊にすることでそれを放棄した。
追い詰めた方も莫迦だけど早々に休刊を決めた新潮社になんの気概も感じられない。
議論を避けていたらなにもはじまらない。
封印されているいくつかの作品も封印、放送禁止にすることで議論を避けている。暴力や強権によって封印するのは愚の骨頂です。