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「流星ひとつ」

流星ひとつ (新潮文庫)
沢木耕太郎著・新潮文庫
藤圭子と若き沢木耕太郎との"インタビュー"を、地の文を一切排除してすべて会話文で表したノンフィクション。
インタビューが行われたのは、引退を決意した直後の1979年秋、ホテルニューオータニ40階のバー・バルゴー(現在は名前が変わっている)。ウォッカトニックを傾けながらロングインタビューで、最初はインタビューに懐疑的な藤圭子が、徐々にその生い立ちから引退までを語りだす。
脱稿した後、このインタビューが今後藤圭子が復帰することになった時の妨げにならないか危惧した沢木自身により封印され出版されることなく、1冊のみ製本されて藤圭子に渡された。そして2013年突然自死を選んだ藤圭子。その2か月後、34年の封印を解かれて出版されたのがこの「流星ひとつ」というインタビュー集です。


 藤圭子の引退が、ポリープだと思い切除した喉の腫瘍が、先天性のものであってその腫瘍そのものが藤圭子の"声"を作っていた(と藤はいう)。その手術によって藤圭子は切除前の声をなくしてしまい、唄えなくなったことが原因だということ。

 沢木耕太郎と恋愛関係にあったという話もありますし、沢木自身もお互いに恋愛感情があったと言っています。藤圭子自身はそもそも多くを語るタイプではなく、そのおかげでゴシップのネタにされて彼女自身について誤解されて広まっている。このインタビューは、彼女の本質に、彼女自身の言葉で迫っている。まるで読者が、2人の隣のスツールに腰を掛けて聴き耳を立てているような不思議な感覚を味わく事ができます。

 1969年デビューで「圭子の夢は夜ひらく」が1970年、以降79年に引退ですから、私的には4歳から14歳まで、後半はあまり記憶にないので、小学生の頃母親と見ていた歌謡番組での記憶が殆どだと思う。
 歌はうまいなとは思っていましたが、怨歌とよばれた歌詞にそれほど惹かれることはありませんでした。というか大人の世界過ぎてわからなかった。今となっては歌詞の世界も含めていいなぁって思います。藤圭子の顔や佇まいは好きでしたねぇ。私のお人形さん顔(アンドロイド顔とも)好きの元祖といっても過言ではありません。

 沢木耕太郎31歳、藤圭子28歳。ホテルのきれいな夜景の見えるバーで語る2人。「深夜特急」の旅を終えて、浅沼稲次郎刺殺事件の山口二矢について「テロルの決算」で上梓したのが30歳、まさに新進気鋭のノンフィクションライター。引退を決意した藤圭子にどこまで迫れるか、沢木耕太郎の"野心"も感じる。

 プロとプロの掛け合いを隣のスツールに腰を掛けて聴き耳を立てているような背徳感。
 
 本書で描かれている歌い手としての悩みは読んでも本人にしかわかりませんが、できればいつまでも歌い続けて欲しかったし、宇多田ヒカルとの親子共演なんてのも見てみたかった。本当に残念です。

流星ひとつ (新潮文庫)

流星ひとつ (新潮文庫)