高木 瑞穂著・彩図社文庫
三重県志摩市渡鹿野島は、的矢湾に浮かぶ0.7平方キロメートルの小さな島。江戸時代は荒天時の避難場所・風待港として栄えていたが、いつの頃からか主たる産業が”売春”になり、別名「売春島」と呼ばれた時代があった。
最盛期は70年代交換から90年代前半くらいまで。離島といっても対岸までは300m、だまされてこの島で売春をさせられていた女が泳いで逃げたという話を聞いてこの島を徹底的に調べようとしたのが著者の高木さん。
煽情的なタイトルとは裏腹にこの島の歴史が紐解かれていく。採れるものと言ったら岩海苔になまこ程度。観光名所もない島で、唯一の産業が性であった。直接売春に携わる売春婦、置屋、観光ホテルは言うに及ばず、飲食店、パチンコ屋、呉服屋、たばこ屋…この島のあらゆる産業が売春を抜きに語れない。
海が時化となった時に避難先として好都合だった渡鹿野島は、船員の宿泊施設が出来、当然のように春をひさぐ女子の需要が出てくる。最初は島の女性が相手をしていたが、商売として成立するようになり、娘を擁する”置屋”ができる。
娘は、男に騙されて来島するものもいたが、大半は自分の意志で春を売っていたと。
売春摘発は昔からあったもののさほど影響は受けなかったこの島がさびれ始めたのは、2000年に入ってしばらくして島のクリーン化が始まってから、というのが何とも哀しい。
2019年7月現在、島の人口は187人。過疎の島になっています。かつてはこの島の人口ほどもいた売春婦も今は4人。しかも島に住んでいるのは1人という。
結構最近まで”売春島”としてあったというのが驚きです。90年代なら社会人になってました。何かきっかけがあれば行ったかもしれませんが、渡鹿野島という存在そのものを全く知りませんでした。
今、特に地方のこういった性風俗産業はコロナ影響前から瀕死の状態と聞きます。離島となれば尚更でしょう。そもそも人が減っているし、若い人は風俗にいかない。以前はどこもやっていた社員旅行は90年代後半からなくなっていって、単に集まって宴会する大きな観光ホテルの需要も減った。当然、そういったものを当てにしていたホテル、観光地は経営難になる。
”時代のあだ花”というよりも、100年以上の歴史あるもう一つの花街という感じで興味深い。
- 作者:高木 瑞穂
- 発売日: 2019/12/17
- メディア: 文庫