日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

「昭和40年男vol.75 昭和の暮らしと俺たちの部屋」

昭和40年男 2022年10月号 [雑誌]

隔月刊の「昭和40年男」最新刊。今回の第1特集は「昭和の暮らしと俺たちの部屋」

なんとも懐かしい。
小学4年の時に引越しして自分の部屋が与えられた。姉貴は、フローリングの6畳、私は畳の4畳半。姉貴はベッド、私は布団。これが年長者との差…。それでも、自分の部屋を持てたのは嬉しかった。
それまでは、姉貴と机を並べていましたが、”部屋”というほど区切られておらず、台所と玄関と居間と寝床に使っていた8畳間の”通り道”みたいな4畳半。姉貴の机は電話台代わりになっていました。

仕切られた自分だけの空間。”勉強部屋”とは名ばかりの遊び部屋。
その頃はテレビは居間にしかなくて、部屋ではもっぱらラジカセで音楽やラジオ番組を聞いていました。
机の上のラジオは外界との接点でした。深夜放送を聴きながらのながら勉強。ラジオから流れる楽しいお話、音楽。勉強効率が良いわけは有りません。

ステレオは応接間にあったけど、もっぱらレコードをテープに録る為の機械でした。

その後、一人暮らしを始め、本格的に自分の部屋での生活をスタート。それでも学生時代はビデオが買えず、ビデオデッキを買ったのは社会人1年目のボーナスで。当時まだ20万位していました。

うちの子達が自分の部屋を持ったのは今の家に越してきた時だから、長男が高1、娘が中2の時で、それまでは2人1部屋でした。そう考えると私は一人部屋持ったのは早かったんだな。なので、子どもたちは自分の部屋であんまし勉強せず、リビングやダイニングで勉強していることが多かった気がします。あんまししていなかったか…w
今とは時代が違うとはいえ、携帯電話、PCも個人で持っていて、ゲーム機、携帯音楽プレイヤーも個人で。ラジカセではないから、子供たちはラジオは聞かなくなりました。あらゆるものがパーソナルになって来ましたが、個人用のテレビあったらいいよな、個人用の電話あったらいいよなと。それは私達が望んだものでした。
そういう意味では、間違いなく自分たちが望んだ世界になっているわけで、過去は懐かしいけど戻りたくない理由はそこにあります。

第2特集は「昭和64年/平成元年」社会人2年目に入った年です。
仕事には慣れ始め、バブルが始まった頃。遅くまで仕事に遊びに充実していたような気がします。前年から昭和天皇のご容態が芳しくなく、年明けすぐに崩御。前年の自粛ムードから一変し、本格的なバブル幕開けだったような気がします。
当時入社した会社はいわゆる”飛び込み営業”の会社で、本当に辛い1年目でしたが、就職して2年目、ノルマはきつくなりましたが、慣れたのか気持ち的にはちょっと楽になってた時期。お給料も自分でやりくりつつ自由に使え、最初に車を買ったのもこの時期だったんじゃないかな。

とはいえこの頃でも戻りたくはないですけど、いい時代でした。

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