日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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「黒部の太陽」よもやま話。

hee2012-01-21

 映画を作る上では、大変な困難が伴う。資金はその中でも特に重要なもの。どんなにいい脚本でもフィルムが買えなければ映画にはならない。「黒部の太陽」は、1968年公開の映画。当時映画界は、五社協定(松竹、東宝大映、新東宝東映)が結ばれており、各社専属の俳優、監督は、自由に映画に出たり撮ったりする事が出来なかった。折しも映画業界は、テレビの普及に伴い一気に斜陽化していました。
 そんな中、既に独立プロダクションを興していた三船敏郎石原裕次郎が、タッグを組んで完成させたのが、「黒部の太陽」。大資本の映画会社と異なり、いくら有名俳優とはいえ資本力では雲泥の差。石原プロは、この映画計画時に500万しかなかったとか。そこで、関西電力や工事の中心だった熊谷組間組などに協力を依頼し、1年以上の撮影期間を経て完成させた大作。
 予算のない中、しわ寄せは、常に下請にくるのは映画製作も同じ?今日、長野県のお客様との懇親会の席で、隣に座った方が大町の方でした。大町と言えば、映画の舞台となった関電トンネルの長野側の出入口のあるところ。黒四ダム建設の際は勿論、映画制作でも1/1トンネルセットを作成したり地元の協力がかなりあったらしい。
 そのお話を振ると、実は地元の人は必ずしも「黒部の太陽」に好感情を持っている人ばかりではないとのこと。撮影時に様々な形で、協力をさせられた挙句、費用の捻出を渋った制作者側、単にケチって渋ったのではなく本当になかったんでしょうけど。最後には裕次郎さんが出てきて「石原裕次郎が頭を下げてるんだから、納得しろ」的な高圧な態度に出られたらしい。それに腹を立てた地元の業者さんたちは、「石原裕次郎が何ぼのもんじゃ。こちとら生活掛かってる」と。でも結局泣き寝入り。以降「石原裕次郎の出る番組は一切見てはいけない」と、じーさんや父親から言われてたらしい。でも「太陽にほえろ」は学校で話題になっていたんで、親に隠れて見てたけどねとは本人の弁。
 ここら辺をTVでやったりすると、”裕次郎さんの熱意に免じて、地元の人と一丸となって映画製作をした”となるんでしょうけど、実際はそんなにきれいごとじゃ済まなかったみたいですね。
 その「黒部の太陽」は、石原裕次郎の「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」という発言を厳格に遵守して、公開後、数度の特別上映はされていましたが、これまでソフト化はされませんでした。それがついに2013年にDVD化される事が発表されたのが、昨年5月。そして今年に入り、裕次郎さんの奥さんのまき子さんが、「東日本大震災復興支援〜全国横断チャリティ上映会」をすることを発表しました(http://www.ch-ginga.jp/special/yujiro.html)。しかも3時間15分の完全版!
 観に行かないわけにはまいりません。場所は東京国際フォーラム。2月にチケット販売らしい。チケット入手できるかな。