日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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「急げ! 若者 tomorrow never waits」 を観る。(ふたたび)

1974(昭和49)年公開。東宝小谷承靖監督

「急げ!若者tomorrow never waits」は、2年前に今回と同じシネマバー「THE GRISSOM GANG」の上映会に参加して36年ぶりに観ることができました。(その時のblog→http://d.hatena.ne.jp/hee/20100110)今回は、今年2月に亡くなられた北公次さんの追悼上映会ということで2年振りに開催され参加してまいりました。
 フォーリーブスも、09年に青山孝(ター坊)が亡くなっていますので、おりも政夫(マー坊)と江木俊夫(トシ坊)のトゥーリーブスになっちゃったんだと思うと、時の流れは非情です。自分がこの映画を初めて見たのは9歳の時。そりゃ歳取るわけだ・・・。
 「急げ!若者」の制作年は、フォーリーブスの人気の絶頂期を過ぎ、新御三家郷ひろみ西城秀樹野口五郎)にその地位を譲ろうとしていた時期。郷ひろみフォーリーブスの弟分として出演しているけど、翌年には、現在のバーニングプロに移籍。「踊り子」(76)「ブルドック」(77)などは、今だにジャニーズの後輩たちに歌い継がれている曲も多いフォーリーブスの名曲ですが、当時は、40位前後のスマッシュヒット。
 なので、この映画も大ヒットとはならずフォーリーブス単独主演の映画というのはこれ1本しかありません。
 今回の上映会の後、小谷監督が現れ当時の様子を少しだけお話頂きました。その中で撮影時のこぼれ話。最後北公次がやくざに刺され死んでしまい、3人+孤児院の後輩郷ひろみをコーちゃんの代理で出演する"最初で最後の"デビューコンサートの様子を撮影していた時の事。撮影が夜中の2時まで押し、スタッフも疲れがたまっていた頃、翌朝7時にスタジオ入りがあったフォーリーブスも不満が爆発、その時コーちゃんが監督に対して、「一生懸命なのは判るけど、もう限界です」と怒りをあらわにしたそう。その時監督は、「この映画は、フォーリーブスにとって最初で最後の主演映画なんだ。スタッフも精一杯頑張っているんだから君たちも頑張らないと」と言って諭したそう。監督も勢いで言ったんでしょうが、現実に最初で最後の主演作となったんですね。
 
 後年、コーちゃんによる赤裸々な暴露本「光GENJIへ」でジャニーズ事務所との亀裂が決定的になりましたが、2002年には、フォーリーブスが再結成されたり、徐々に雪解けムードが出てきました。既に2人のメンバーが鬼籍に入っている今、この作品を末長く語り継ぐ為にも是非DVD化をお願いしたいです。
 前年の1973年に「日本沈没」が上映され、2年後の1976年には角川映画第1弾「犬神家の一族」が公開。以降映画の基本は1本立興行が主となりました。この作品は、プログラムピクチャー最後期の作品としても価値があります。この映画と同時上映だったのは「血を吸う薔薇」。私が当時観た映画館では、東宝チャンピオンまつりと同時上映でした。いくらフィルムが残っているとはいえ、いつでも観れなければ幻の名作、知る人ぞ知る作品のまま。脇を支える役者さんも、日色ともゑ岡田真澄佐原健二、スマイリー小原、藤木悠塩沢とき大泉滉、青木英美とそうそうたる顔ぶれ。東宝/ジャニーズ事務所の皆さん、ご英断を。