昨日の父の四九日忌に来て頂いた伯父に聞いた話。
戦時中、国鉄で働いていた伯父は、蒸気機関車の車両基地(機関区)要員だったそう。機関区員の仕事は車両整備。とはいえまだ若かった伯父は下働き。一番の想い出というと、天皇の乗るお召列車の機関車整備だったと。当時天皇は"現人神"だったわけで、天皇陛下の乗る列車というのは、要は「神の乗り物」。その為に、すすで汚れた機関車をピカピカに磨きあげ、更に燃料の石炭を「石鹸」で洗ったと。「まったくバカバカしい!」と腹立たしげに言ってました。
東京大空襲の三日後には、上野に行き列車の運行の為に遺体を集め穴に埋めたともいってました。
父や伯父の世代は、思春期の多感な時期にまさに地獄絵図を目の当たりにしてきた。私たちはそのことを知らない。否、知ろうもしなかった。戦争は、国家間の紛争解決の手段ではあるけれど、どんな理由があるにせよ、一般人を巻き込む国を挙げての戦争は、悲劇しか生まない。しかしその悲劇をしっかりと伝えていく(受けとめていく)努力を戦後怠った戦中派、戦後派の罪は重い。どんなに辛いことであっても後世に伝えていくべきであるし、私たちは「そんな昔のこと、聞きたくない。時代は変わった」と耳を閉ざしてしまってはいけなかった。
今年で戦後69年。父でさえ終戦時16歳。出征した人は若い人でも90歳になる。戦争体験談はたくさん書かれているけど改めて身近な人の体験談を聞きたいと思いました。
中国や韓国では領土、領海問題で反日の気運が高まっています。実際その中心となっているのは、戦争を知らない世代ではありますが、それも当時の偏った考え(戦時中の大日本帝国軍の専横による横暴)を戦後教育に盛り込んだ結果です。一方の日本では、戦時中の日本についてはできる限り客観的に、というかかなり否定的な教育をされ続けた。この差が、今の対立を生んでいる。歴史認識というと簡単だけど、改めて正しく本当に客観的な歴史(感ではない)を共有できるといいかもしれない。