日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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「シン・ゴジラ」感想その3 庵野秀明の頭の中



(物語の中身に触れることもありますのでご注意ください。)
 「シン・ゴジラ」について語る3回目。造形としてのゴジラについて語ろうと思ったんですが、リクエストもあったんでその前に庵野総監督がやりたかった演出庵野秀明の頭の中について話してしておこうかなと。


 庵野監督は、沢山の映像作品、特に特撮映画、ドラマの洗礼を浴びてクリエイターになった人。育った環境やそれまでの人間関係が色濃く作品に反映するタイプの作家さんではない。これまでのどの作品にも何らかの先行作品へのオマージュがある。なんか一見難しい内容だったり、もしかしたらすごいことを言ってるんじゃないかと思わせたりするのも、すべてこけおどしで、実はただ単にかっこいいからそういう演出をしているだけ。そこに深い洞察があったり訴えたいものがあるわけでもなく、ちりばめられた伏線をすべて回収することもない。そういうことが分かると無理やり解説くわえようとも思いませんが、すくなくとも語りたくなる作品を作る演出家さんであることは間違いありません。

 「シン・ゴジラ」もそういう映画です。
 庵野監督はゴジラを撮りたかった。それは間違いないと思います。あとはウルトラマンを撮りたい違いありません。この2作品が庵野監督に与えた影響はこれまでも多く語られています。エヴァンゲリオンの焼き直しという感想を持った人も多いようですが、当然です。これまでの庵野作品は、ゴジラウルトラマンを撮る為のプラクティスもしくは代替行為だったとみてよいと思います。勿論、ゴジラウルトラマンを撮れる保証はどこにもなく、もしかしたら一生取れないかもしれない。また「撮りたい、撮りたい」とラブコールを送るというのも庵野監督はしていません。そういうことを言うことをかっこよくないと思っているじゃないかなぁ。
 だからゴジラ映画のオファーがあった時は内心狂喜だったでしょう。とはいえエヴァの新作を作るって言ってしまってるしどうしよう…って感じ。でもまぁエヴァを遅らせても撮りたかったというは結果論ですが事実でしょう。


 感動をさせる為の演出、泣かせの演出をしない。
 庵野監督はあまり感情を表に出さない人です。これも想像ですが、感情を表に出すのが苦手。だから、泣かせようとしたり感動させようとしたりする演出に対して敏感で、そういう演出をしようと思えばできる。でも敢えて今回の「シン・ゴジラ」から排除しているのではないかと思います。それは、ゴジラという災厄に向かう人間ひとりひとりのドラマを撮りたいのではなく、ゴジラの来襲という事象として追いかけてそれを見せることが怪獣映画の本旨であって、それ以外のドラマは邪魔だと考えたのではないでしょうか。
 実はBGMすらも邪魔で、いったん作った新曲BGMを破棄してこれまで使われたゴジラ東宝特撮を代表する曲や自作のエヴァンゲリオンのBGMを使用しています。TVのニュースショーでも特撮やアニメのBGMがよく流れます。ニュースショー用の新曲とかはありません。要はそういう考え方での選曲だったんではないかと思いました。東宝特撮音楽好きはエンディングでこれでもかとメドレーされますので絶対席を立ってはいけませんw


 今現在の人類の知恵でゴジラに対峙する。
 今回、メーサー殺獣車もスーパーXも、機龍も出てきません。ゴジラに対抗するのは、自衛隊の飛行機、戦闘ヘリ、戦車だけでなく、新幹線に通勤車両、タンクローリーにポンプ車と現時点で私たちが目にすることのできる車両、航空機です。
ゴジラなんて所詮フィクションなんだからなんでもありと考える人も多いと思いますが、実はSFって、フィクショナルな要素はできるだけ少ないほうがより楽しめるものです。日常と地続きであるけど自分の知らない隙間にとんでもないものが隠れている、そこをフィクションで埋めることがより物語世界に没入できる大切な構成です。半村良とか小松左京の作劇がそうでしたし、初期の日本SFってそういう作品が多かった。昔NHKで夕方やっていた「少年ドラマシリーズ」も小中学生の日常から不思議な事件に巻き込まれるっていう構成が多く、そういう洗礼を受けた庵野監督が、今回のような演出をするのもよくわかります。
 日本は世界で唯一の被爆国なので、特に核兵器に対してアレルギーがある。しかもゴジラが進行しているのは首都東京。おいそれと国連側が使いたがっている核兵器を使わせるわけにはいきません。ではどうするか。内閣は政治的な牽制をし、実務者レベルではできうる対策を不眠不休で練り上げる。ゴジラの破壊を楽しみにしている観客にとっては退屈極まりないこれらのシーンも、ゴジラに対峙する弱い人類側が、それでも一生懸命頑張っている(政治家はよくわからない)姿を見せるそのコントラストで、全然かっこよくない通勤電車の奮闘にカタルシスを覚えることができる。
 物語の緩急と同時に、ゴジラモーションキャプチャーを演じた野村萬斎狂言師としての動きもまた緩急で表現される芸術で、これまでの、暴れまわるゴジラという演技、演出とは一線を画しています。


 今回の「シン・ゴジラ」をオリジナリティあふれる大傑作と思っているわけではありませんが、すくなくとも自分が観たかったゴジラ映画の一つの形であることは間違いありません。これまで28作(+海外作2作)すべて観てきて、少なからずもやもやしていた部分を埋めるピースが今回の「シン・ゴジラ」です。


 「シン・ゴジラ」観ていない人にとってはなんで3日も同じネタで書くのかといわれそうですし、観た人にとっては掘り下げ甘い!とか怒られそうな駄文でどうもすいません。個人ブログなので許してください。それと関係者様、悪意はありませんので訴えたりしないでくださいw

 明日は日常ブログに戻ります。きっかけがあったら続き書きます。お付き合い頂いてありがとうございました。