令和に入って2回目の月例会。23名の参加。
4中/10射で入賞には絡まずorz。自分的には、4中は、まあ普通で、昨日の講習会で教えて頂いたことを反芻しつつ、中った4本はそこそこいい射だったような気がします。
会まではいい感じで行けてると思うんですが、会で余計な事を考えてしまいどこで離していいか分からなくなる。で、「そろそろ5秒くらい持ってるから離しちゃえ」で離す。当然中らない。残心が汚い。
離れは、離すのではなく、自然の離れ。
笹の葉に雪が積もって落ちる時、笹の葉は「落とそう」なんて思わない。そりゃまぁそうです。笹の葉に意識はない(と思う)。それを目指すのが離れ、ということは頭では分かるんですけど、いろいろ考えちゃうんですよね。特に3本中った後の4本目とか一手の時は1本中った後の2本目。「これ入れたら皆中だ」と考えた瞬間にまず外す。雑念が身体の節々に悪影響を及ぼす最たる例です。弓道では「スケベ(心)」といって恥ずかしい事と言われます。
かの親鸞聖人も
「定水を凝すと雖も 識浪頻に動き、心月を観ずと雖も 妄雲猶覆う」(じょうすいこらすといえどもしきろうしきりにうごき、しんげつをかんずといえどももううんなおおおう)
と色欲、煩悩に悩まされていた。まして凡人の私なんぞ色欲まみれなのは致し方ない。
色欲とは、「男性は女性を求める、女性は男性を求める心」をいいますが、もっと広い意味ではいろいろなものを求める欲望、例えば栄誉、名誉、収入…、人間が考えるありとあらゆる欲望を色欲と呼ぶんじゃないかと思います。
勿論生きていくために欲は必要ですが、その欲望を律することができるのもまた人間だったりします。
中てる為の技術としての弓道も勿論難しい事ですが、常に中る為にはこころの問題に入っていかざるを得ない。弓”道”って、単に「洋弓」(Archery)に対する「和弓」(JapaneseArchery)とは、似て非なるもの、と最近特に思います。そういう意味で私のやっている事、求めているのは、和弓ではなく、弓道なんだろうなって思います。
がんばろ。