昭和20年8月6日午前8時15分、79年前の今日広島上空で新型爆弾が投下され、地上600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂。人類史上初の都市に対する核攻撃が行われた瞬間でした。
原爆投下後の入市被爆者も含め56万人が被爆、被爆から2~4ヶ月以内に10万人以上が亡くなった。
一般市民を目標にした原爆使用が戦争犯罪であることは明白であるにもかかわらず、一切裁かれることはなかった。
終戦時すでに予備役となっていた石原莞爾は、東京裁判で東条英機を裁くアメリカ側証人として証言台に立った時、開口一番裁判長に
「アメリカは日本の戦争責任を随分と古くまで遡ろうとしているようだが、一体いつまで遡るつもりなのか。」 と聞いた。
これに裁判長は冷静に答えました。
「日本の行った侵略戦争全てです。できることなら、日清戦争、日露戦争まで遡りたいところです。」というと、石原莞爾は、
「ほう、ならばペリーを連れてこい ! 日本は鎖国していたんだ。それを無理矢理開国させたのはペリーだろう!日本は朝鮮も満洲も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国じゃねーか」と。
その後、裁判長は、「最後の質問」と断りを入れたうえで、こう聞きました。
「今回の戦争で最も罪深い戦争犯罪者、それは誰だと思われますか?」
勿論、その意図は、石原の口から「ああ、それなら東條に決まっている」という言葉を導くものでした。
裁判長並びに裁判官全員がそう確信していたでしょう。
しかし、ここでも石原は逓信病院での事情聴取と同じように法廷にいる全員を驚愕させる答えを発したのです。
「ああ、それならアメリカ大統領トルーマンである!」
「そうであろう。何の罪もない民間人を原爆で殺しまくり、20万人も殺してそれが正義だと言えるのか?トルーマンこそが最大の戦犯だ!」
さらに石原莞爾は続けます。
「戦時中日本の軍隊は悪いことをしたという部分もあるだろう。しかし、戦場の興奮によって戦闘員を侵害することはおおいに有り得ること。 勿論忌むべき行為ではあるけれども、これらの偶発的な事件と計画的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンの行為こそ戦犯第一級中の第一級の行為。今日戦勝国が如何にこれを抗弁しようとも、公正な第3者と後世の人類によって歴史的な審判を受けることは免れ得ない。一国の大統領ともあろう者がかかる野蛮行為をあえてして、しかも、少しも恥じるところがない。我々はこのような者を相手にして戦ったことは、何とも恥ずかしい。」
勝てば官軍とはよく言ったもので、欺瞞に満ちた東京裁判で戦勝国は裁かれなかった。
原爆を落とされる前から日本の敗戦は決定的で、2個の原爆投下はアメリカの実験以外のなにものでもない。
にもかかわらず、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と原爆死没者名簿が納められた 中央の石室の前の碑に刻まれています。
これどう考えてもおかしい。
そもそも計画的に原爆を落としたことは”過ち”ではなく”作為”でありしかも無辜の人々を一瞬で焼いた実験。さらにこの慰霊碑を建立したのはアメリカではなく日本人。広島、長崎の何十万の人を殺したのはアメリカです。
こんなんじゃ安らかに眠れるわけありません。
と、過去の事をいっても始まりません。
ただトランプも「国防をアメリカに頼るな、頼るんだったらそれ相応の対価を払え」と言ってる以上、日本は「じゃ、アメリカさんは必要最小限の駐留で結構、後は日本で賄います」と言えばよい。当然アメリカの核の傘からも抜けてあくまでも専守防衛は厳守した上で抑止力とした自前で核兵器を持つ。それでよいと思います。
戦争をするなとか頭がお花畑の人は大きな声で言っていますが、勿論戦争などしたくありません。でも近隣諸国は何かあれば日本に戦争を仕掛けてくる気満々です。
外交で解決すべき。それはその通りですが、外交に頼らずに”拳固”でくる奴に徒手空拳で追い返せますか?
戦争するなという左側の方々は、中国やロシアに行って大声で言ってください。
自分の国は自分で守る。それが出来なかったから戦争に負けて多くの人が死に生き残って終戦を迎えた日本人も辛酸を舐めた。
原爆の落ちた日だからこそ、平和を祈るのはよいけど、国の平和はどのようにしたら守れるのかという議論をせずに、平和サイコーといってても平和は守れない。
=追記2024.08.07=
基本「戦争反対」の立場です。誤解なきよう。
あくまでも”専守防衛”は堅持する。アメリカの”核の傘”に入っていながら自分は唯一の原爆被災国だから持たないというのは調子よすぎ。日本を責めても反撃はされないというのは国際社会では圧倒的に不利。だから抑止力としての核は持つべきという考えです。アメリカの駐留予算を削って、それを自衛隊に回す。最近はなかなか人が集まらないということですが、好待遇で迎えるようにすれば人は集まる、かも。