日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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終戦の日に思う

(思うままに書いているので、読み飛ばしてください)


64回目の8月15日。勿論、完全戦後世代なので実体験に基づく感慨があろうはずもない。
正午のサイレンと共に、試合を一時中断し黙祷を始める高校球児。この1分間、日本は停止する。全国の様々な場所で、たくさんの人々が黙祷を捧げ不戦を誓う。


戦争はいけないことだって、誰だってわかる。中国(清)、ロシアの大国と戦って勝っちゃったもんだから多少調子に乗っていたってのも想像に難くない。でも清、露は大国とはいえ斜陽の国、アメリカは飛ぶ鳥を落とす勢いの若い国。結論はお互いにある程度みえてたはず。結果的に先に拳を振り上げさせられ、大鉄槌として新型爆弾(しかも2発!も)の実験場にされた日本は、果たして本当にそこまで悪だったのか?
国家として、喧嘩っ早いだけでなく策士のアメリカにまんまと嵌められたんじゃないかという思いが強い。もっと大人の対応が出来たはずのアメリカは、やはり国としては若い国家なのだろう。


靖国で会おう」
そう言い合って、国を守る、もっと卑近な考えで言えば家族を守る、愛する人を守るといった想いで死んでいった人々の集う場所が靖国神社だとしたら、単に場所を変えるだけで問題は解決するのだろうか?
戦犯っていっても、一方的に戦勝国が敗戦国を裁いた、いわば出来レース。ドイツのチョビヒゲ総統のように自国民でありながら人種が違うというだけで、戦争のゴタゴタに紛れて大量虐殺したのと訳が違う。
特にA級戦犯と呼ばれる戦争指導者は、国を守る一念で若者を死地に向かわせたことに罪悪感は本当になかったのだろうか。いや、そんなはずはない。A級戦犯となった指導者たちも苦渋の選択をしたのだと信じたい。確かに、国の中枢にいる人にとって、彼らは顔の見えない一兵卒かもしれないが、国民、特に若者は、いつの時代でも国の宝であるという認識は持っていたに違いない。その国の宝(虎の子)さえも消耗しないといけない程、追いつめられていた指導者は本当に悪なのか?それとも追いつめた奴が悪なのか?
今の感覚で言えば「そこを堪えて、早めに敗北を認めていれば…」ということを言う人もいるが、敗戦国になったらなったで国の未来はない(と思われていた)。戦争続行か無条件降伏か、2つに1つの選択はどちらにも可能性を感じなかったに違いないし、日本人であれば、死ぬまで戦う方に美徳を感じるだろう。


東アジア地域での植民地政策だって、確かに軍事拠点を作ったり、地元の資源を有効活用しようというもくろみはあったにせよ、戦後半世紀を越えてなお活用されるインフラの整備や現地人に対する高い教育など、単に批判されるに任せることはない。


とはいえ、いかな理由があるにせよ、戦争を肯定してはいけないしするつもりもない。人が人の人生を奪ってはいけない。戦争で亡くなった先人の為に、年に1回位はこういうことを考えるのもありかと…。