1985年8月12日に墜落した、日本航空123便。その関連本を追悼の意味を込めてここ数年この時期読むようにしています。
今回のこの本は、発表された事故調査委員会他の公式に発表された情報に寄らず、著者独自の調査によって書きあげられた労作。
そもそも著者が、日航123便墜落事故を追いかけるようになったのは、山梨県大月付近で町内会の役員として子供キャンプに随行していた時に、迷走する日航123便を目撃した事に始まる。少し傾いた民間航空機、その後追うように飛ぶ自衛隊機。そして事故が報じられたものの自衛隊機が日航機を追っていたという記録はどこを探しても一切出てこない…。
事故の数日後に、友人から婚約をするはずだった女性が123便に乗っていた事を聞かされ、友人とともに事故現場に赴くことに。しかし、そこでも奇妙な事の連続。隔壁破壊による尾翼損壊が原因とする事故調の結果が、たくさんの矛盾を孕んでいる事に憤りを憶え、独自に調査を進め、そのピースを合わせていくと、単なる修理ミスとは思えない国家ぐるみの隠蔽工作としか思えない疑問が次々と浮かび上がってきます。
今もこの事故の話をする事は自衛隊や日航上層部ではタブーとなっていると言います。何故なんでしょう?
事の真相は、判りません。飛行機が落ちて520名(妊娠6ヶ月の胎児が発見され、著者は521柱としています)が、恐怖の中亡くなった。その事実は変わりません。オリンピックで浮かれて8月6日の広島原爆についてもほとんど語られない今年。4日後、27年前のこの事故についてどのように触れられるのか興味があります。
原因はなんであれ、航空行政を一手に引き受けている国は、このような大事故に際して他人事を決め込んでいた事実は許しがたい。国民を守るべき国家が、自分の不始末の為に520人もの人間を犠牲にするなんて事が許されていいわけがない。しかしその反省も生かされないから、震災と原発事故でもその大原則を忘れてしまう政府に本当に国を任せていていいんでしょうかね。
初版が1993年ですから、その後起こった様々な災害は知る由もありません。しかしそれらの災害に対してとられた国の行動は、政治家は政治家の思惑があるんでしょうが、とてもプロの危機管理とは思えない。せめて8月12日18時56分、この事故で亡くなった方々に黙祷を捧げましょう。。
疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない
- 作者: 角田四郎
- 出版社/メーカー: 早稲田出版
- 発売日: 1993/12
- メディア: 単行本
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