アメリカの高校でまた銃乱射事件が発生。17人が死亡。容疑者は同高校を退学した元男子生徒のニコラス・クルーズ容疑者間もなく拘束された。
毎年こんな事件が起こっても、銃の所持を止めようとしないアメリカ。「銃が人を殺すんじゃない、人が人を殺すのだ」といって、銃所持の正当性を全米ライフル協会は銃所持を肯定しますが、ハタ使徒本当にそうなのだろうか。
銃は人を傷つけるもの。猟銃とかもあるから広く生物を傷つけるものといってもいい。生き物を傷つける道具を規制しないのはやっぱり拙い事だと思います。
もし、日本で廃刀令がなかったとしたら、日本でもそこらじゅうで切りつけ合っていたかもしれない。銃の所持を許すというのはそういうことじゃないだろうか。
廃刀令、正しくは明治9年太政官布告第38号「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件」正装時と軍人、警官が制服着用しているとき以外は刀をもってはいけないということ。
武器を帯びるのは自分を守る為。守る事を国に任せることで、逆に市民が安心して暮らせる世の中になる。軍人や警官は、武器の所持を認めるかわりに市民を守るという重大な使命を果たすことになる。市民は警察を信頼し、警察はそれに応え日夜市民の安寧の為に働いてくれている。
刀は武士の魂。それを禁止する事は武士にとってアイデンティティの否定であって決して容認できることではなかったに違いない。それでも西欧諸国に後れをとること勿れと明治新政府の徹底的な過去の否定によって廃刀令発布された。
帯刀していたからといってむやみやたらに刀を抜いていたかというとそういうこともなく、どちらかというと帯刀は武士の誇りだった。もっともそういった実質的なものでなかったから、多少の混乱はあったにせよ廃刀が進んだのかもしれません。
アメリカは妙なプライドを捨てて、銃の禁止をすべきです。確かに銃がなければナイフで殺したかもしれません。でも手軽に銃が手に入らなければ、銃を殺人の道具にしなかったのは間違いのないこと。人が人を殺したのではありません。銃が人を殺しているのです。
といってもアメ公は精神的に未熟だから銃を手放すことなんてできないんでしょうね。