日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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お天道様が見ている


 今、遠藤周作の「沈黙」を読んでいて、誤解をしているかもしれませんが、キリスト教イスラム教他新興宗教を考えると「われを崇めよ」的な神様をどうして信じちゃうんだろうと不思議でなりません。
 多分、キリストもマホメットも「われを崇めよ」とは言ってなかったと思うんです。それが後の人の解釈で唯一絶対神的な扱われ方をされている。キリストが神の子っていうのも良くわかりません。
 その点仏教は、人間ゴーダマ・シダールタが悟りを開いてブッダ(悟りを開いた者)になる。といいつつ、仏教もその後いろんな解釈をされて、教えを広めてるだけなのに「われを崇めよ」的な奴も出てきてこれまた胡散臭い。「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでご利益ありありなんてのも胡散臭い。そんなわけあるかっつーの。

 日本人の根源に流れる信仰は、そういう一人の神様に救いを求めるもんではなくて、一言でいうと「お天道様が見ている」というもんだと思う。
 お天道様というのは、例えばそれはご先祖様だったり、自然だったり、周りの人だったりのいくつかの比喩的表現だと思うのです。

 海外では、必ず信仰について聞かれるといいます。海外の人は何らかの宗教を信奉していて、それが個人のアイデンティを表す指標のひとつとされているそう。だから、特定の宗教を信じていない日本人の事は「得体のしれない人」とおもわれる。神様を信じていないのに、災害が起こった時に暴動も起きず、命を擲って人の命を救おうとする。それが不思議でならないらしい。日本人からすれば、世情不安に陥るとすぐ暴動、略奪をする外国の人の方が本当に神様を信じているのかと疑いたくなる。

 日本には八百万の神が居て日本人は長い間神とともある。だから、お天道様に顔向けできないことはしないように遺伝子レベルで刷り込まれている。神社仏閣をオイルで汚したり、さい銭箱を壊して中のお賽銭を盗むような真似はまずしない。神社仏閣でなくても、キリスト教会やイスラムのモスクに対しても日本人は畏敬の念を払う。異教だからといってないがしろにすることはない。
 「沈黙」にある江戸時代のキリスト教弾圧は、単に教義だけの問題ではなく、政治的勢力を布教に利用しようと武器弾薬を密輸したり、国家安寧を害する集団だったから禁教になったというのが真相ではないかと思います。布教の美名のもとに次々と進出をしてきたキリスト教が本当に「右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ」って教義を実践していたら禁教になることもなかった。キリスト教以外を邪教と呼び、頭ごなしに改宗をもとめる。いうことを聞かないと武力を持って改宗を迫る。こんなことで本当にキリストは喜んでいるんだろうか。

 最近の日本人も西洋に毒されてきてお天道様は見ているのにそれに気が付かない人がどんどん増えてきている。
 いろんな事件が起こるたび、やっぱ日本人は今一度原点に立ち返ったほうがよいよな、と思うことがしばしば。

 あなたの行ないはお天道様が見ていますよと。