「誹謗」 - 他人を悪く言うこと。 そしること。
「中傷」 - 根拠のない事を言いふらして、他人の名誉を傷つけること。
「表に出る仕事を自分で選んだのだから誹謗中傷も覚悟せよ」「それが嫌ならお前がSNSをやめればよいだけ」「怒るのは子供。うまく受け流すのが神対応」のようなことがさも当たり前のように言われてます。
やってる本人に誹謗中傷しているという自覚がないことがまず問題。自分が変だなと思っていることはみんな変だと思っている。だから、他の人が叩いて人はいっしょに叩いていい。そんな感じ。
でもちょっと待って。自分が正しいと思っていることは本当に正しいことなんだろうか、自分が変だなと思っていることは100%変な事なんだろうかと考えることがまず大切なことだと思います。ガミラスにはガミラスの言い分があるし、地球には地球の言い分があります。
意見の違う人は必ずいます。いくら大多数の意見であってもその尻馬に乗って、より過激な誹謗中傷をすれば、反対派からのターゲットにもなります。また被害を受けた人から首謀者の一人と位置付けられます。
生きていれば嫌だなって思う事や、やたら攻撃的な人、物言いをする人(そんな言い方しなくてもよいのに…的な)に出会うことは誰でもあると思います。
確かにその時は辛いし「なんであの人はああいう言い方しかできないんだろう」と思うことも1度や2度ではありません。
そういう嫌な体験をしたなら、そういう人、物事を反面教師にして自分はしないようにすればよい。
問題は、誹謗中傷を繰り返す人って、同調圧力が強かったり、そのグループのリーダーで発言権が強かったりします。そのリーダーの意見に沿わないと今度は自分が誹謗中傷の対象になる。
”いじめ”と同じ構造です。
リーダー的な人は特に自分の意見を言うときは注意しないといけないと思います。それがリーダーの資質とも言えます。
自分の意見を言うことも難しい社会、と考えるのではなくて、意見を言うときはいったん立ち止まって、感情のまま発言しない、言葉を選ぶ。まずはそこからじゃないかなと思います。