人は弱い生き物です。
馬や牛や山羊も生まれ落ちた瞬間に立つことができるけど、人間の赤ちゃんはただ泣くだけ。
もし山の中で生まれて、あんなに泣き叫んでいたら、野生動物にすぐ見つけられて食べられてしまう。だから親の庇護が絶対に必要。魚のように何千何万の卵を産んでその一部だけでも生き残ればいいというものではないから、生まれ落ちた1個体を大切に育てないと次世代に続いていかない。
生きるだけでも苦労の連続。百者百様の苦しみがあって、他人の悩み苦しみを理解するのはすごく大変。その苦しみから逃れる方法は”鬼”になることと考えた者が”鬼”になる。
こころが弱いから、と言うのは簡単だし、集団の破壊者になる”鬼”を排除したいというのも理解できる。
炭治郎君のように、”鬼”になった者に哀れみや施しではなく、こころから寄り添う事ができる人はとても強い人。
自分だってもしかしたら”鬼”になっていたかもしれない過去を持っていて、それでも”鬼”にならかった人は強い。
「3年B組金八先生第2シリーズ」で、腐ったミカンの加藤優に「優という字は、人偏に憂いと書く。他人の憂い(哀しみ)がわかる人は優しいし、優れているんだよ」といいます。
「鬼滅の刃」のテーマでもあると思います。
「鬼滅の刃」の魅力は色々あると思いますが、小さい子供たちが、炭治郎君や杏寿郎さんをはじめとした柱の人たちの生き様をみて心打たれているという状況はとても良いのではないかと思います。
人間は強くありません。自分だって、打ちひしがれたり、落ち込んだり、立ち直れないようなこともそれこそ沢山ありましたし、現在進行形で多かれ少なかれ常に悩みは抱えています。そんな時、鬼舞辻から声を掛けられて断る自信はありません。でもそういった場面に立った時、「鬼滅の刃」を観た老若男女が、人としての矜持を保つことの大切さを選んだり、あえて辛い状況の中で踏ん張る人が少しでも増えるとよいかもしれません。