先月の父の死から、死にとりつかれている感じがします。死にたいとかいうことではなく、自分が死ぬってどういうことなんだろうかと。
人の致死率はだれがなんと言おうと100%です。全員死にます。それが早いか遅いか、病気か事故か自殺か他殺か。では、どうしたら幸せな死を迎え得られるか。志半ばで死ぬことは不幸だというけど、そもそも志なんて簡単にみつかるもんじゃないし、志半ばってことは志に向かって生きてるってことになる。今の自分に志なんてない。
「少年よ大志を抱け」札幌農学校のクラーク博士の言葉ですね。この言葉には続きがあって、全文はこうだそう。
"Boys be ambitious!.
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be."
「少年よ、大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める
大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを
求める大志を抱きたまえ。」
「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と言いますが、単に名声を得ることを求めるのは下品ってことですね。まして集金マシーンのごとく守銭奴になる事も大志とはいわない。
私は何を残せるんだろう。現役時代に亡くなれば驚きを残せるでしょう。今の自分は他人の記憶に残るような人間じゃない事は良くわかってる。でも、自分という人間がこの世にいたということを憶えていてくれる人が少しでいいからいてくれると嬉しいかもしれないな。
ちょっと遅いけど、大志を抱いてみようか。。